僕は今年で40歳になり、人生の半分を海外で過ごしていることになります。20歳で日本を離れて暮らす中で、よく「なぜドイツに行ったのですか?」と聞かれるのですが、正直に答えると「日本の大学が入れてくれなかったから」です。
高校生の頃に美術の道に進もうと決めて、名古屋にある某美術系予備校に通い、彫刻を専攻していました。毎日デッサンや塑像を学び、技術を磨き、現役で受けたのは4校です。結果すべて落ち、1年間浪人をして、さらに技術を磨き、二度目の春に挑んだのは3校でした。
唯一、東京の国公立大学の1次試験(石膏像のデッサン)をパスし、2次試験まで進み、自分なりに満足できる結果だったので、後日浮き足立ちながら結果を見に行くと、自分の番号が、ない。当時18歳だった僕は咄嗟に、「僕がダメではなくて、この日本の大学がダメだな」と思いました。そして名古屋に帰る夜行バスの中で、それまで全く考えていなかった海外に行くことを決めました。
面接の30分後に合格と伝えられる
これは僕のその後の人生において、「環境を置き換えることによる価値の転換」として何度か出てくるのですが、ひとつのモノがAの場所、文化でダメだったらBやCに行けば別の意味、価値が出てくる、「であればそこに行こう」ということにつながっています。18歳でこのやり方に気がついたのは幸いでした。
図書館などで海外先の教育機関を調べていくなかで、ダミアン・ハーストやトレイシー・エミンなどをはじめとするYBA(ヤングブリティッシュアーティスツ)の作家たちが当時社会的な地位を確立して脂の乗っているイギリスの美術が面白いと考え、今まで個人的に作った作品などを集めて写真を大型のスケッチブックに貼り、2カ月で受験用の自作ポートフォリオを作りました。
名古屋のブリティッシュ・カウンシルにイギリスのサリーという街にある美術大学の先生が訪れて入試の機会があるというので申し込み、まだままならない英語でポートフォリオを見せながら面接をしたら、30分後に「あなたは合格です」と伝えられました。
しかも初年度のファウンデーションコースも免除になり、最初から学部コースに入れるという待遇付きです。2年間日本の大学で落ち続けてきた僕には実感がなく、帰宅して「今日大学に受かった」と言っても、家族の誰にも信じてもらえませんでした。