年明けあたりの日本に行くと「目指せ! xx大学!」という広告を多く目にします。そこには固定された範囲基準があり、頂点を目指す以外の選択肢がない中で、全員が同じものさしの上でスペックを高める努力をしているように感じます。
こうした広告を見る度に、この入試という場所一つ切り取ってみると、ダイバーシティという言葉は日本にはまだ程遠いと感じてしまいます。一言では言い切れませんが、大手企業の人事採用についても同様の傾向が見られるのではないでしょうか。
既存のものさしより、新しい価値観を
アートは過去のデータから紐解く統計学的な学問ではなく、一つのもの、事象を見ながら、全員がさまざまなことを考え、創造する学問だと僕は思っています。そういった意味では、今までなかったものを作り出す中で、既存のものさしは大前提として重要ではなく、どれだけその発想に伸び代があるか、未来のビジョンを描けるかがより価値を持ちます。
パンデミックや戦争など外的要因で社会そのものが一変し、大企業の倒産など、想像もできなかったものを見たり経験したりするなかで、他者と競争してスペックを高めるよりも、新しい基準を作るゲームチェンジャーや価値の転換を図る人材がこれから必要のように感じます。
現代美術の創始者と言われるマルセル・デュシャンは、普段見慣れている男性用の便器を横にして「泉」という名前をつけました。100年以上前の1917年に『作られた』それは、現在、20世紀の最重要作品の一つになっています。そこには既存のものさしはなく、全く新しい美の価値観としてこの世界を一変させました。
マルセル・デュシャン(右、Getty Images)
これからの社会の中心となるZ世代をはじめとする次の人たちがさまざまな価値観のある新しい世界を描くために、社会のあり方を考え直す時期に来ていると、20年前の経験を振り返って今感じます。