3カ国の入試で感じた異文化での採用と、価値の転換

受験時に提出したポートフォリオ(筆者提供)


その後1年間、アルバイトをして学費を稼いでイギリスへ。満を持して大学でアートを学べることが嬉しく、毎日楽しく制作していました。ところが、1年経ったら日本で貯めたお金が底を尽き、大学に居続けることができでなくなりました。

当時、大学寮で7人全員異なる国籍の学生とフラットシェアをしていたのですが、その中の一人のドイツ人が、「ドイツは学費がタダよ」と。その頃ちょうど、ゲルハルト・リヒターやヨーゼフ・ボイスなどデュッセルドルフにゆかりのある作家を調べていたこともあり、デュッセルドルフに行くと決め、1カ月後にはドイツに来ていました。


ドイツのデュッセルドルフ(筆者撮影)

合格基準は「今後の伸びしろ」


デュッセルドルフクンストアカデミー(国立美術大学)は1700年代に創立された国立の美術教育機関で、前述のリヒターやボイス、パウル・クレーなどアートヒストリーに出てくる多くの作家が学んだり教鞭をとっていた場所です。ここでの入試は自由なサイズの厚紙20〜25枚に作品をまとめて提出するというものでした。

入学後に知ったのですが、世界中から送られてくる何千というポートフォリオを教授数人が数日かけてみます。面接もないので、受験者の国籍、年齢、性別もわからず、ただ作品のみで判断します。サポートに2人の学生がいてポートフォリオをめくり、教授陣がだらけていると、手元のベルをチリンと鳴らし「再審査」を促すということもあります。

そしてその合否基準は「技術が高いか、高くないか」ではなく、「この学生をこれから伸ばせるか、伸ばせないか」ということも聞きました。技術が高い、作品の完成度が高いのであれば、「もう大学で学ぶ必要はない」という判断で合格基準にはなりません。デッサンがうまい人から順番に選んでいくという日本の「経験、スペックでの審査」はここでは全く通用しないのです。

また、合格者はその年によって変わり、40人の時もあれば100人ほどになる時もあります。そこにはたとえば「定員50人」ということはないので、受かる50番目と落ちる51番目の応募者の差というのはなく、よければ合格、ということになっています。

僕は、イギリスからドイツに渡ってからまた作品を集めてポートフォリオを作り、大学に届けて、その後幸いに僕の手元に合格通知が届きました。

これが僕の3カ国での受験体験です。とても個人レベルの話ですが、ただ少し見方を変えてビジネスや国レベルに置き換えると、企業の人事採用や教育機関のシステムにもつながる話のようにも感じます。
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文=村瀬弘行

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