時を超えた「令和の出会い」が復興の鍵
父は民藝を愛していた。だからこそ、伝統手法を用いた曳山を後世に残さずして、その精神が継承されることはありえない。ならば、「維持管理可能な伝統的手法を用いて、立体的な造形デザインを創造できる人」がいればどうだろう?
3つの壁をすべて突破できる可能性が見えてきた。
「陶器や張り子は大きいものは壊れやすい。木彫りも同様に条件が合わない。博多の『山笠』のような造形は、あまりに曳山とは遠う。青森県の『ねぶた』のような和紙の貼り合わせは頻繁に作り直しているという話も聞くが、九州のアイデンティティから遠い、でも、和紙はいいなあ」
──と、背中に電気が走る。
革新的な和紙作家である堀木エリ子氏が脳裏をよぎったのだ。巨大な和紙を建築に組み込む手法を開発した作家だ。
幸運にも、知り合いからの紹介で食事をする機会を得た際、「立体的に和紙を漉く手法を発明し、トヨタと協働で『和紙で作られた車』を作ったことがあります」というお話を聞くことができた。
さらには堀木氏に鯨の曳山の製作を持ちかけた際、次のような話も聞いたのだ。
「親族で家系調査をしていたところ、江戸時代にご先祖様と縁のあった三重県四日市で新たなお祭りが生まれて、それが鯨の山車(だし)を引くお祭りだったんです」
うれしさとともに、不思議な心持ちになった。
「ご先祖様が鯨のお祭りを興したように、私も鯨の曳山製作に取り組まなければ」とおっしゃる堀木氏との出会いにより、雲を掴むようだった“幻”の輪郭が見えてきたのである。
祭りの夜、呼子の海に鎮魂の光が灯る
「呼子くんち」に相応しい“本物の素材”を探す旅は、奇しくも「和紙」という日本の神事と親和性の高い伝統素材に辿り着いた。
「日本には、白い『紙』は『神』に通じるという精神性がある」
堀木さん曰く、「祝儀袋や熨斗紙は、不浄とされているお金や人に差し上げる品物を白い和紙で包み込んで浄化してから手渡すという考え方のもとで、『おもてなし』の源流になっています」。お供え物に敷く、人間と神との結界に吊り下げるなど、神事や祭事にも白い和紙は欠かせない。そのため、和紙の曳山も古来より浄化作用があるとされる生成り色(白色)だけで表現したそうだ。
「呼子くんち」は「和紙」という伝統素材に辿り着いた
白い「親子の鯨」は「灯り」がよく似合う。
新しく奉納された親子鯨の曳山は、ライトアップできるように設計された。その理由はいくつかある。日中子どもたちが町内を曳いて練り歩いたあと、日が落ちる頃に内側をライトアップして漁船に移し乗せ、呼子湾内の弁天島まで巡る。鯨文化が息づく呼子に伝わる伝承「親子くじらの弁天さん詣り」を成就させ、諸々の鎮魂を祈るという名目ではあるが、その光景はまるでイカ漁。呼子の産物であるイカを夜釣りする姿が連想される。
祭りとは、地域の人々が共有できる価値を持つ一つの文化のカタチであり、地域の誇りであり、地域の財産。風土と密接に関わりながら演じられるものでなければならない。父の言葉を借りると、
「その地の歴史と伝統に育まれた行事こそが、郷土に誇りを持つ青少年育成のためになる」。
令和の時代に蘇ったこの「幻の曳山」が、これからの地域の繁栄の一端を担うとともに、自然と人間の共生を祈る存在になることを願っている。
※お披露目式は5月28日9時30分から行われる
※5月20日からは、クラウドファンディングが始まった。支援募集は6月30日午後11:00まで
上沼祐樹◎編集者、メディアプロデューサー。KADOKAWAでの雑誌編集をはじめ、ミクシィでニュース編集、朝日新聞本社メディアラボで新規事業などに関わる。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科を修了(MBA)し、大学で編集学について教えることも。フットサル関西施設選手権でベスト5(2000年)、サッカー大阪府総合大会で茨木市選抜として優勝(2016年)。