「戦友」になったシングルファザーとその息子。奮闘の先に起きたこと|「クレイマー、クレイマー」


さて、もう1つの反復は動きに関するものである。

ドラマ後半、ジャングルジムから落ちて怪我をしたビリーを抱き抱え、救急センターを探してテッドが必死に街を走る。ドラマのハイライトでもあり、今やテッドの人生の中心にビリーがいることを示す重要な場面だ。

スクリーンの中を左から右に向かって、息子のためにドタバタと全力疾走する懸命な父親の姿は実に感動的だが、その少し後に、元気になったビリーが、やはり左から右に向かって走るシーンがある。

ビリーの背中を見守るのはテッド、ビリーの走って行った先に両手を広げているのはジョアンナ。久しぶりに逢った母の元へ、脇目も振らず一目散に駆けていくビリーの純粋さ、ジョアンナの溢れんばかりの愛情は、スクリーンから弾けるように伝わってくる。

せつないのは、父が息子を救おうとする感動シーンでの走るという動きが、息子が母を求める感動シーンにおいて皮肉にも同方向で反復されることで、父の報われなさを一層強めていることだ。

フレンチトースト・シーンの2回目は、人と生活を共に営むという究極の面倒臭さのご褒美として、成長と絆がもたらされることを教えてくれていた。だがその「キャリア」において、父親はやはり母親には敵わないかもしれないことが、父子の走りの反復から浮かび上がってくる。

ちなみにこの時テッドは会社をクビになって失業中であり、ジョアンナは経済的自立を果たしかなりの収入を確保している。テッド側の弁護士に執拗に問われる「母親が子供を置いて家を出た」ことへの答えも含めて、裁判でのジョアンナの弁論は心に沁みる。

テッドの頑張りだけでなく、ジョアンナの苦しみにきちんとスポットを当てた裁判シーンを通し、私たち見る者も「何がビリーにとって一番幸せなのだろう」と考えさせられる。人知れず父子を観察していたジョアンナがたどり着く決論は、試行錯誤で奮闘し続けたシングルファーザーと息子への最大の贈り物だ。

連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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文・イラスト=大野 左紀子

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