サミット冒頭には台湾行政のデジタル化を指揮するオードリー・タン大臣が登壇、PwCアドバイザリーのパートナーである池田雄一とのディスカッション形式で、社会におけるAI活用のあり方について論じた。
続くsession1は<常識を超えて新たな価値を創造せよ>と題し、PwC Japanグループ データアナリティクス AI Lab のリーダーを務める中山裕之をモデレーターに、旭酒造代表取締役の桜井一宏、東日本旅客鉄道 常務執行役員 事業創造本部副本部長の表輝幸の2人が、データとAIを活用したイノベーションの実例を披露した。
はじめに、中山はAIやデータを活用することによって生まれるイノベーションの仕組みを、17年に行われた第2期将棋電王戦(人間対AIの非公式棋戦)でAIが指した初手「3八金」を例に出して話しはじめた。
「この一戦を最後に、将棋の世界で人間対AIの図式はもてはやされなくなりました。AIの優位性が示されたからです。AIの初手である『3八金』は、それまで悪手として過去10年公式棋戦で指されたことはありませんでした。この一戦に寄せられた棋士のコメントがとても印象に残っています。それは『従来人間が非常識だと考えていた領域に、新たな可能性があることをAIが教えてくれた』という言葉です」
将棋界で起こったゲームチェンジ。それをビジネスの領域で実現した2社のキーマンが、それぞれ実例を説明していくかたちでイベントは進行していく。
PwC Japanグループ データアナリティクス AI Lab 中山裕之
酒造の過程をデータ化
日本酒「獺祭」で知られる旭酒造では、一般の日本酒蔵元が大型タンクを使い年に数回の仕込みを行っているのに対し、小容量タンクを用いて年に3,000回もの仕込みを行うという、常識はずれの製造方法にこの30年で変化した。きっかけは同社が普通酒中心から純米吟醸酒中心に経営方針を転換した際、それまで仕込みを依頼していた杜氏が辞めてしまったことだった。
「杜氏がいなくなって、最初はやり方がわからないわけです。そこで教科書通りに『いい酒をつくる方法』を始めました。ところが教科書通りにやってもいい酒と悪い酒ができるんです」と桜井は語る。
指示通りに酒造りをして、なぜ品質に差が生まれるのか。そこを経験や勘、運などに逃げず美味しい酒の追求をしていくなかで、酒造りの過程についての分析をきちんとすることが役に立った。外部から酒造りをしに来ている杜氏だと隠したい部分ではあるが、それをブラックボックス化させないことで美味しさと酒造りの検証ができた。最初は温度とアルコール度数だけだったが、米の溶け具合やその他の数値など計測していく項目が増え、結果的に手間は大きく増えたが、品質を徹底的に追求できるようになった。
「同じ山田錦でもどの産地のものを使ったのか、その年の気候はどうだったのか、それをどの精米工場で何%まで精米したのか、どのように洗米し、麹をつくり、発酵させていったのか、全部わかるようにしました。品質のために小さなタンクを使っていたことで、仕込みの回数が増えていったのですが、それが結果的にデータをすばやく反映させてPDCAを回すことにつながりました。年間3,000回なら1日10回近く仕込みをすることになります。つくっては味を見て、美味しくなかったのはなぜだったのかを検証する。それを延々と続けているのです。当然いまも毎朝9時半に製造と経営のメンバーが集まって利き酒をして、もし美味しくなかったら翌日からつくり方を変えています」
旭酒造ではこれまで杜氏の勘と経験頼りだった酒造りでは追求できない品質を実現するために、データに基づく形に変革し、そのノウハウを社内に蓄積していったのだ。
とはいえ当初は失敗続きだった。
「最初のころの資料が残っているのですが、いまの感覚からすると『これは絶対失敗するよね。ここ温度低すぎない?』とか『こんなに発酵引っ張るのか。ここら辺で絶対変な香りつくよね』みたいなことをやっているわけです。ただし全部自分たちでデータを握っていたおかげで、そこで失敗したことが後に大きな財産になりました」
こうして集めた莫大なデータを活用することで、山口県の地方の一酒蔵に過ぎなかった旭酒造は次第に高い評価を受けるようになり、アメリカ、ヨーロッパを含む世界各国に日本酒を輸出する、日本を代表する純米吟醸酒メーカーに成長していった。
旭酒造代表取締役社長 桜井一宏
インフラ企業で行われたイノベーション
一方の表は旧国鉄が東日本旅客鉄道(JR東日本)に変わったあとの第1期生として入社し、主に鉄道以外の生活サービス分野に従事してきた。入社13年目の36歳のとき、
売上の減少が続き危機的状況にあった駅弁事業を営むグループ会社の社長に任命され、「コンビニ弁当のように安くおいしく」「買うとき中が見えるように」というアンケートの声を受け、透明な蓋の500円の「お買い得だ値 駅弁」を開発。しかし、まったく売れなかった。
表は必死にデータを集め、顧客の本当の思いを探ろうとした。調べてみると興味深いデータが見つかった。東京駅で駅弁を購入するお客様は年に2、3回しか新幹線に乗らない方が圧倒的に多く、また、そうしたお客様は平均すると発車27分前に駅に来ていることが分かった。さらに分析を進めると、そのうちの1/3のお客様が駅で待っている間にやることがなく、時間を持て余しているということが見えてきた。
「では、駅弁の種類を増やし、駅の中で駅弁をゆっくり楽しみながら買える場所を提供したら、もっと買ってもらえる可能性があるのではないかと思ったのです」
このアイデアはまず東京駅で実現され、駅弁販売額の向上に大きな効果を発揮した。
「また、あるお客様から言われたのは、『駅弁には食べる前、食べているとき、食べた後の3つの楽しみがある』ということでした。買って列車に乗って蓋を開けるまでも楽しみだし、蓋を開けて『あ、おいしそうだ』と感じるのも楽しみ。さらにそれぞれの地域の特色や食文化も楽しみで、食べ終わったあと、駅弁の掛け紙を旅の思い出として残している方もたくさんいらっしゃるんです」
旅行をするお客様が駅弁に寄せる思いを知って、表は発想をさらに進化させる。
コンビニ弁当と同じ土俵で戦うのではなく、世界に誇れる日本の駅弁文化としての価値を打ち出していくべきではないか。そこで開発したのが3,800円という、日本で最も高い駅弁だった。
「日本でいちばん美味しいお米をつくっている農家の方に直談判して仕入れさせていただき、食材もその四季折々の最も美味しいものを各地から集めてきて、『一日限定30個、東京駅でしか買えない、日本一の駅弁』として売り出したんです。すると毎日売り出して5分で売り切れる大人気商品となりました」
これをきっかけに世界中から取材が来るようになり、その後パリやロンドンにも店を出すことになった。いまや駅弁は、海外でも大変な人気だという。かくして駅弁の売り上げは2倍になり、子会社は赤字から脱却。世界に「駅弁文化」が発信されるようになったのだ。
JR東日本では17年から「JR東日本スタートアッププログラム」の名の下に、JRの経営資源を用いた新たなビジネスのアイデアを募集している。毎年200件以上の応募があり、有望な案件についてはJR東日本が資金を提供して実証実験を行う。そこから実際に事業化されたものに、AIを使った駅ナカの無人決済店舗がある。
「地方で過疎化が進んで売上が減ると、人件費がまかなえず、事業としてのコンビニは成り立たなくなります。しかし省力化できれば、地方の駅でも存続させていけます」
JR東日本ではAmazon Goよりも早く4年前に実証実験を開始、2年前の高輪ゲートウェイ駅のオープンを機に常設店の設置を進めている。
そのほかにも例えばドイツのインファーム社と提携、グループのスーパーマーケット紀ノ国屋の店内で葉物野菜を育て、それをその場で味わうという究極の地産地消も展開している。
「AIを使う農業なんですが、日本の農家の知見も入れて、栽培場所の環境データを分析し、常に最も美味しい状態を再現できるように栽培しています」
東日本旅客鉄道 常務執行役員 事業創造本部副本部長 表 輝幸
モデレーターを務めた中山は、「お話を伺っておふたりから感じられたのが、やはりまず『お客様を喜ばせたい』という気持ちがあって、それを実現し、日々改善を重ねるためにデータやAIを使っているということです。AIの活用にも『こうしたい』というトップの思いが何より大事で、その熱量が大きく会社を動かしていくのだと改めて認識しました」とセッションを締めくくった。
その後のSession2ではユーグレナCEOの永田暁彦、慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章らが、サステナビリティとESGをテーマとして、経営におけるデータやAIの活用の可能性に言及した。
Session3ではPwC Japanグループが協賛する東京大学「AI経営寄付講座」の学生たちによる新規事業についてのプレゼンテーションが行われ、Session4では東京大学大学院教授の松尾豊を中心に、AIを活用したスタートアップ起業家やテクノロジストたちが最前線のAI経営実践のあり方を紹介した。
AIテクノロジーの急速な進歩に伴い、AIによる新たなソリューションの提供、AIを用いてESGの観点から企業価値を高めるアプローチなど、経営の意思決定を加速するAI経営が各界で実践されつつある。
まさに、経営にAIが不可欠な時代が始まっていると言えるだろう。