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2022.06.03 18:00

400年を瞬間移動。薩摩の屋敷群に吹く令和の風「DENKEN WEEK」

江戸時代の武家集落の面影を残す、出水麓武家屋敷群(鹿児島県出水市)で

碁盤の目のように区切られた街並み、川石を丁寧に積み上げた石垣。出水麓武家屋敷群(鹿児島県出水市)は、江戸時代の武家集落の面影を残す国の重要伝統的建造物群保存地区(略して重伝建地区)である。東京ドーム9個分とも言われる広さを有し、その圧倒的な存在感で、江戸時代と令和時代をつなぐ。

今もなお、居住区域として活用される場ではあるが、所有者の高齢化による維持管理が問題となっている。若年層が減り、空き家が増えるという風景は、全国あまたある課題とそう違わない。

それでも手をうつべく、今回、アートイベント「DENKEN WEEK IZUMI 2022」が開催された。出水麓の武家屋敷と本町商店街を舞台に、鹿児島ゆかりの作家たちの作品に触れられるイベントが、現地をどう変えたか。関係者に聞いた。


アートイベント「DENKEN WEEK IZUMI 2022」

守ることに長けた「出水麓」武家屋敷群


鹿児島県の北西部に位置する出水市は、日本最大のツルの渡来地として知られている。自然豊かな地域でもあり柑橘系も充実、鶏を中心とした農畜産業も盛んだ。今回の舞台となる薩摩藩最大規模の「出水麓」武家屋敷群も忘れてはいけない。

時を400年ほど戻し江戸時代。薩摩藩は地方支配の拠点「外城」を設置した。ここで政務や地方警護を担ったのが武士で、彼らの住まいと陣地を兼ねた町を「麓」と呼んでいた。出水市にある「麓」は、当時、肥後国(現在の熊本県)との境に近かったことから、防衛上重要な場所と認定された。鹿児島城(鶴丸城)を中心に、藩内各地に整備した外城の周辺に造られた武家屋敷群は、江戸時代末には最大120に。今でも約150戸の武家屋敷が現存しているという。


現在でも約150戸の武家屋敷が現存する

「当時、出水麓の外城は、薩摩藩内で最初に築かれ、規模も最大規模でした」

こう語るのは、株式会社つぎと兼同社現地法人である株式会社いづるのマネージャーを務める小野由貴氏。選りすぐりの屈強な男たちが集められ、この地を守ったという。外圧を跳ね除け、地域の生活を守ることには、想像以上に厳しい日々があったのだろう。今もなお、そういった気概ある文化が残っているとも教えてくれた。


株式会社つぎと/いづるの小野由貴氏

出水市役所の商工観光部観光交流課・吉永涼氏は、地域の課題を話してくれた。

「出水麓武家屋敷群の中には、50を超える武家屋敷がありますが、そのほとんどは現在も住宅として使用されています。と同時に、所有者の高齢化による維持管理の困難や空き家増加が進んでいるのです。新築・増改築の際は規制がかかる地域でもあります。若者世代の定住率も高くはありません。

そういった現実のなかで、なにができるのか。観光振興及び交流人口の増加が私たちの目の前のテーマとなっています。幸運なことにこの地域には特異な文化と景色があります。歴史的建造物であるため保存を最優先することは間違いないのですが、並行してどう活用していくのか。その一歩目を踏み出したところでもあります」

守ることに長けた地域において、どう時代に合った攻めを実践するか。模索は始まったばかりだ。



姉妹都市、台湾・埔里鎮との二都共同開催


DENKEN WEEKは、出水市の伝建地区を舞台に、この地域にある食文化や建物、街並みについて、改めて気づくという視点を提供するアートイベント。一昨年に続く開催となっており、今回は、出水市の姉妹都市である台湾の埔里鎮(プーリーチン)との共同開催だ。

出水の会場では、写真家・濱田英明氏の作品をはじめ、鹿児島にゆかりある作家の作品がいたるところに展示された。今回のイベントでは、伝建地区だけでなく商店街も舞台となり、出水の人や風景を作品として現地に届けた。
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文=上沼祐樹 編集=石井節子

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