「suzusan」が東京で展示会をおこなったタイミングで、代表兼クリエイティブディレクターの村瀬弘行さんにお会いし、後日、詳しいお話を聞かせていただきました。1982年生まれの村瀬さんは、「鈴三商店」の5代目。2008年にデュッセルドルフでブランドを立ち上げてから今年で14年目になります。
現在ではヨーロッパでの売り上げが全体の75%を占め、続いて北米での売り上げが10%。日本での認知度も高まっており、展示会も大盛況。コロナ禍にあっても昨年度は過去最高の売り上げを記録したとのことです。
村瀬さんのユニークな活動から、異文化でビジネスを始めること、とりわけ新しいラグジュアリーの潮流のなかでクリエイティブにビジネスを展開するヒントを共有できたらと思います。
ドイツでのビジネスの始めかた
中野:ドイツで学んでいらしたので土地勘はあったとしても、ビジネスとなると商習慣も違うしネットワークも必要です。2008年にはまだECも発達していません。どのようにビジネスを定着させていったのですか?
村瀬:最初の5年くらいは、ヨーロッパやアメリカで、いろいろなお店に突撃販売にいきました。メールも電話も返事がないので、直接、アポなしでいくしかなかったのです。「日本でこういうものを作っていますが5分だけお時間ください」というのをずっと続けていました。
中野:それは大胆ですね。スムーズにお取り引きにつながりましたか?
村瀬:いえ、最初は先方も、色が、素材が、大きさがダメ、というふうに何かと理由をつけて断ってくるんです。それで、わかりました、と持ち帰って修正してもう一度見せに行く。すると今度は、価格が見合わない、とくる(笑)。また修正して、粘り強く通っていくと、マッチするポイントが出てくるので、じゃあ、ちょっとだけでもオーダーしましょうか、となっていきます。
中野:それはマッチポイントというより相手が根負けしたのでは……(笑)。ひるまない粘り強さに驚きます。
村瀬:そのころのお客さんが、実は、一番長く続いているお客さんなんです。最初はお金がなくて展示会にも出られなかったので、そうするしかなかった。でも今となれば、粘り強い交渉を通して関係を築いたことがかえってよかったのかな、と。
新しいラグジュアリーとソーシャルイノベーション
中野:Suzusanの商品をラグジュアリーとして意識していましたか?
村瀬:ブランドを始めた時に、ピラミッドを書いて、一番上のところに行こう、とは思っていました。ラグジュアリーなものを作っている自覚はありました。ただ、価格の上では、エルメスやシャネルではない。プライスレンジも含めたブランドの立ち位置で競合を挙げるならば、ドリス・ヴァン・ノッテンでしょうか。