ビジネス

2022.05.19 08:30

「柔らかい言葉」が新しいラグジュリーをつくる


村瀬さんへのインタビュー、興味深いです。コメントをするにあたり、ぼく自身の「日本の文化」に対する感覚の変遷に触れた方が分かりやすいので、そこから始めます。

30年以上、欧州で仕事をしてきたなかで、ぼくが注意深く避けてきたことがあります。「世界で唯一である、日本の本物の伝統文化をそのまま海外の方に伝えたい」と熱く語る方の手伝いをすることです。それを大歓迎する一部の欧州人がいることは知っています。しかし、ぼくの領域ではないと思ってきました。

辛酸を舐めたことで気づいたこと


「日本の伝統文化を伝える」ジャンルに高い関心をもてないのです。京都に出かけ、そこにある建築物が自分の目を楽しませ、心に響かないということではありません。逆です。「伝統文化」にまとわりつく余剰に嫌気がさすのです。無駄な自尊心と狭い視野が「余剰」とみえてしまうのです。



かつて評論家の加藤周一は、「『富士山が美しい』との意見には同意する。『富士山を日本一美しい』と聞けば、やや首をかしげるが、気持ちが分からないでもない。しかし、その人が『富士山は世界一美しい』と言えば、単なる井の中の蛙だと思う。世界には自然現象によってできた似た形状の山々がある」と語りました。彼の言葉が、腹の底から分かります。文化に優劣をつけない文化相対主義にも通じます。

実はイタリアに住み始めて3〜4年しか経ていなかった頃、日本の伝統技術に基づいた新しいコンセプトの商品をイタリアで広めようと試行錯誤しましたが、殆どうまくいきませんでした。

経験豊富な先輩たちが「市場はないだろうから、やめた方がいいよ」と事前に助言してくれたのですが、自分でどうしてもやってみたかったのです。どこに踏み込まない方がよいラインがあるのか、そこを確かめたい、怖いもの見たさもありました。

このように辛酸を舐めたことで、日本の文化にはとても鋭敏になりました。日本人なら日本の文化を海外で伝えるのが役目だろう、と当然のように思っていらっしゃる方も少なくないです。しかし、それはぼくの路線と馴染まない。文化変容を招く新しいコンセプトを考える、その現場にいて実行・促進するのが、ぼくの役割だと任じてきました。

そもそも、ぼくが欧州を自分の居場所として選んだのは、時代をつくる面白い概念は、日本でも米国でもなく欧州が得意であると気づいたからです。日本の自動車メーカーにいて英国スポーツメーカーとのクルマの共同開発プロジェクトに関与し、歴史への考え方が新しいコンセプトを生む契機をつくると肌身で感じました。米国は量をこなすマネジメントは抜群ですが、高い質を生むのは欧州だと。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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