日本酒や味噌、醤油など日本の発酵食品に欠かせない麹。その麹づくりに必要な種菌の製造販売を生業とする「種麹屋」という、古くは室町時代から続く日本古来の商いがある。
麹菌に加え酵母菌や乳酸菌など、多様な種菌を総合的に扱う会社となると全国に5社しかない。そのうちの1社が創業112年ながら業界では最後発の秋田今野商店だ。伝統産業を担う同社はいま、麹菌などの有用微生物の力を駆使して醸造の枠を超え、現代のバイオビジネスに挑んでいる。
秋田今野商店は種菌を培養し、全国の清酒や焼酎、みりん、醤油、味噌の蔵元に出荷している。常客を抱え、安定した売り上げを維持しているが、4代目社長の今野宏は、そこにあぐらをかくことはしなかった。
「和食のベースになる醤油や味噌などは必ず消費されますが、日本の人口が減少するなか、醸造食品だけでは拡大路線は望めません」。麹菌の発酵が数十年前から科学的に注目されていたこともあり、今野は当時から他産業へ活用する可能性について模索していた。
他産業参入のきっかけとなったのは、「農薬を使わずに微生物で土壌を管理する方法はないか」という一件の依頼だった。今野は、カビの胞子で土壌病原菌や病害虫の発生を抑える微生物農薬を開発する。土台となったのは、培養したカビのなかから、顧客の求める特徴を成分にもつ胞子だけを取り出す技術だ。その工程は「砂漠からダイヤモンドを探すようなもの」と、今野が例えるだけあり、非常に微細な作業が求められる。
今野はその後、麹菌や乳酸菌を化粧品の原体や健康食品の素材としてメーカーに供給するなど、さらに応用の幅を拡大。現在は、醸造食品以外の有用微生物としての販売が売り上げ全体の4割を占める。多様な産業への応用を広げるうえで強みとなるのは、創業以来、国内外から収集してきた微生物1万株を貯蔵する「菌庫」だ。
そのなかから汎用している菌は数百株程度。残りはまだデータがなく、今後の解析次第で事業の可能性は大きく広がる。
今野が「財産」と呼ぶ菌庫を活用して、大学や研究機関、企業と年間10件ほどの共同開発も行う。世界的に注目度が高いフードテック分野でも、ベンチャー企業と「微生物発酵たんぱく質」を使った代替肉の共同開発を推進中だ。
競争が激化するバイオビジネスの開発のヒントを求め、年間の3分の1の時間を出張に費やし、国内外の技術開発現場を奔走。今野を突き動かすものは、微生物への飽くなき情熱だ。
「微生物も生き物ですから、触っていると愛おしくなる。菌は無限の可能性をもっていますから、それをうまく引き出してあげるのは、人次第です。毎日、わくわくしていますよ」
今野 宏◎秋田今野商店代表取締役社長、農学博士。秋田県出身。東京農業大学卒。国税庁醸造試験所で学び、オランダ・デルフト工科大学微生物研究所留学を経て、1986年に家業の秋田今野商店に入社。2003年より現職。