初めてのB to C事業で完敗
植野:そこから海外へ出られました。国際的なビジネスをしたいと思ったからですか?
堀田:博士号を取った後、1年間シリコンバレーに滞在したんです。YouTubeの買収など大型の案件がたくさん出ている時期で、研究所などに通いながら、その様をつぶさに見ました。日本に帰って僕らの会社がひと桁億円で買収されたのはニュースになりましたが、アメリカからしたら、そんな数字は誤差の範囲。起業家として生きるなら海外へ無理やりにでも出なくてはいけないと考えました。
植野:なぜシンガポールだったんでしょう。
堀田:今度はアジア側を見てみようと思ったんです。当時のシンガポールは、VCなどがたくさん出始めた時期でチャンスがありました。そこで、ネイキッドの創業メンバーである平野未来(現シナモン代表取締役CEO)と一緒にシナモンを立ち上げました。
タイや台湾、ベトナムでは写真交換アプリがはやっていて、それをやろうと。僕は写真が趣味じゃなかったから、彼女のセンスが必要だったんです。1.5億円ほど資金調達して、4年で10アプリくらい出しました。堅実な経営でしたが、この業界はLINEに負けて全滅。自分たちもきっちり負けました。
堀田創
植野:SNSがコミュニケーションとセットで、写真交換機能を丸ごともって行ってしまった。それでAI事業へのピボットを。
堀田:旧シナモンのメンバーを全員引き継いだ、いわば第2創業です。
植野:そこからすぐに大手顧客を次々に獲得できたようですが、その理由は何だったんでしょう。
堀田:やっぱりOCRで文字を読み込む「FlaxScanner(フラックス・スキャナー)」というプロダクトの力ですね。コンペになってもプロダクトの性能が高ければ勝てます。やはり技術力は大前提だと考えています。それがなかったらベンチャーが戦うのは無理ですから。
そのため、最も重視したのが開発力でした。開発体制を置くベトナムで現地のトップ大学の教授にひたすらアプローチして、300人ぐらいの候補から、最も優秀な10人ほどを選び、半年のインターンプログラムで徹底的に鍛えました。彼らが実に優秀だったので、天才を集めることに成功したんですね。100人なら全然いける、もっと天才たちをスケールさせようとなったのが2017年から18年ごろです。
コミュニケーションを減らそう
植野:圧倒的な成果は、天才の育成にあった。
堀田:台湾のトップ大学からも招いて100人規模でAIリサーチャーと呼ぶエンジニアを育てたのですが、19年の前半ごろまで順調に伸びた後、急に求心力を失いました。大学院へ行くとか、ほかの会社へ行くとか、半数が抜けたいと言い出した。現場の開発トップに任せ、エンゲージメントが下がっていく兆しを得られないマネジメントにしていたのは僕のミスです。すぐベトナムへ行き、どの順番で、どう引き留めるかを考えました。
植野:エンジニアたちの言い分を傾聴したんですか。それとも、会社のビジョンや本人への期待を伝えたんでしょうか?
堀田:みんな性格が違うので、人によりますね。エンジニアの多くは理解されなくてつらいと感じる仕事ですから、共感を引き出すのはそんなに難しくなかったです。わかったのは、彼らはもっと成長がしたいんだということ。それで教育プログラムをつくり、「成長ってこういうことですよ」と定義をしました。
植野:なるほど。高い技術開発力の要は、戦略人事だったということですね。いま堀田さんがHRをやっていることの合点がいきました。
堀田:つまり、EVP(※3)をちゃんとつくったということです。各人が何をやりたいか表明できるようにしてあげて、それを叶える。頭の固い人には「こういうスキルを身につけると良いんじゃないか」とアドバイスするメンタリングの仕組みもつくりました。そういったトランスフォーメーションをコロナ前に終えられたんです。
(※3)EVP(エンプロイー・バリュー・プロポジション) 企業が従業員に対して提供する価値のこと。給与や福利厚生のほか、労働環境、キャリア支援制度、産休・育休制度、従業員満足度、自社製品のブランド力など、さまざまにある。