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2022.05.07 11:00

中米で見つけた「珈琲の宇宙」。至高の一杯を追う焙煎士が開いた理想のカフェ


珈琲への情熱は溢れんばかりにあるが、目の前の現実はうまくまわっていかない。この時期の栢沼は、喘いでいた。武蔵小金井のアパートは半地下にあり、夜明け前には始発の中央線の振動で叩き起こされる。陽がのぼる頃には、働きに出る人の足を半地下の窓からじっと眺めていた。まるでポン・ジュノ監督の映画「パラサイト 半地下の家族」のように。

「いったい俺は何をやっているのだろう……」ついにはある日、ストレスからか水道水を甘く感じるなど、よりによって栢沼は味覚障害に陥ってしまう。半年ほどは肝心の珈琲の味さえよくわからなくなっていた。

中米で発見した「珈琲の宇宙」


そんな苦悶の日々を送る栢沼を救ったのは、「堀口珈琲」の堀口俊英だった。堀口珈琲は、いまでこそよく耳にするようになった「スペシャルティーコーヒー」の日本でのパイオニアである。その創業者である珈琲マイスターにセミナーで出会ったのだ。

「平日昼間のセミナーにもかかわらず、働き盛りの自分がいたのが目立ったのかもしれない」栢沼は、そう言って苦笑する。セミナーをきっかけに堀口から声をかけられ、彼のもとで働くようになった栢沼は、この堀口珈琲で、ようやく10代の頃からの疑問であった「銘柄による風味の違い」を理解することになる。

栢沼が実体験として学び、会得したのは、珈琲の香りや味とは、生豆のクオリティや精製方法によって生き物のように変化するものであり、適切な品質管理や焙煎によって生み出されるものだということだった。

堀口珈琲で研鑽を積んだ後、栢沼は中米へと旅立つ。何よりも「生豆」こそが珈琲屋の肝だと確信したからだ。今度こそ世界中をまわり、農園や精製所をこの目で確かめ、ありとあらゆる珈琲の真髄を味わってやろう──。ところが、スタート地点で早くも栢沼の足は止まってしまった。

グァテマラを中心とした中米珈琲の多種多様な味わいにすっかり魅了されてしまったのだ。栢沼は、自らが求めていた究極の「珈琲の宇宙」を中米で発見したのである。グァテマラ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラスと3年ほど中米に留まり、最後はエルサルバドルの珈琲の学校「Escuela de Café」を日本人としては初めて卒業した。



帰国後の2008年、栢沼は世田谷区深沢に「cafetenango」をオープン。順調に客足を伸ばし、昨年の2021年には店内を拡張して、中米風のカフェも併設した。栢沼が語る。

「これまでの私だったらカフェという形態は考えられなかったのかもしれません。店を開いて10年過ぎた頃から、ふと自分をとりまく環境をきちんと見てこなかったのではないかと思うようになったのです。

珈琲そのものを探求するあまり、内向きになっていた自分に気づいたのです。カフェという開かれた場があれば、もっと気軽に、珈琲一杯からお客さんと繋がることができるのではないかと。いざやってみると、それが思いのほか楽しくて」

かつて失意のなかで半地下から外の世界を眺めていた青年は、カフェという街のコンコース(広場)を通じて、いま新たな世界へと向き合おうとしている。

連載:装幀・デザインの現場から見える風景
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文・写真=長井究衡

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