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任天堂の「挑戦の歴史」を表現するために
──「丸福樓」の開業おめでとうございます。アール・デコの建築様式やデザインを細部まで残した90年経つ旧本社社屋が、ホテルへと見事に生まれ変わりましたね。
ありがとうございます。ここは父・山内克仁が代表を務め、私自身も籍を置く「山内」が長年保有していたのですが、何も手を入れずにいたらここから100年はおそらく残らないだろうと。何か有益なものにできないかということで、ホテルとしてオープンすることになったんです。
もちろん、どう生まれ変わるのか、何を残すのか、何を伝えていく場所なのか──「任天堂の創業跡地」という特殊な場所に足を運んでくださる皆さんにとって、どういったものをご用意したら喜んでいただけるのかは、徹底的に議論しました。
ホテルの正面外観。左が安藤忠雄の手による新築棟、右が既存棟
──いちばんの課題は何でしたか。
任天堂のキャラクターを使わずに、「任天堂」を表現することです。そのためにあらためて任天堂の歴史を振り返りました。
現在は、任天堂と言えばゲームやエンターテイメントを連想する人が圧倒的だと思います。しかし、そこに至るまでは、私の祖父であり、任天堂の“中興の祖”と呼ばれる山内溥の30年に及ぶ試行錯誤がある。そこで、任天堂の「挑戦の歴史」や、「細部までこだわりぬくクラフトマンシップ」を感じられるものにしようと考えました。
──その考えが、ライブラリー「dNa(でぃーえぬえー)」に集約されたのですね。
ええ。資料の展示室のように見終わったら出ていくだけの場所ではなく、むしろこの部屋に人が集まることで、新しくて面白いアイデアが生まれるような空間になればと思っています。
ライブラリー「dNa(でぃーえぬえー)」。もとは花札の選別室だった
「挑戦の歴史」は、過去から現在だけでなく、未来にも続いていくのだという意味を込め、展示物は歴史順ではなく無秩序に並び、また窓ガラスや鏡面をはめこんだ天井に映し出されるよう工夫して、その永遠性を表現しました。