風呂といえば、湯船につかるのが一般的ですが、もともとは蒸気で体を蒸らす「蒸し風呂」が主流でした。湯船につかるスタイルが一般化したのは、江戸時代後半からと言われています。
江戸の町に初めて銭湯ができたのは、徳川家康が江戸に入った翌年。そこから徐々に増えていき、20年ほど経つと、町ごとに湯屋があると言われるほどに広まっていきました。
江戸の町は埋立地も多く、かなり深くまで井戸を掘らなければ真水が手に入らなかったため、水はとても貴重でした。風呂を沸かす燃料の薪も高額であり、しかも火事を嫌ったことから、自宅に内風呂をつくることは現実的ではなかったのです。
それでも、晴れれば埃っぽく、雨が降れば泥だらけになってしまうのが江戸の町。綺麗好きと言われる江戸っ子たちは、毎日湯屋に通い、文字通り「垢抜ける」ほど体を磨いていたそうです。
当時の湯船は、柘榴(ざくろ)口というとても狭い入り口の先にありました。お湯の量は半身浴ができる程度でとても熱く、浴槽には湯気が立ち込めていたそう。内部は暗くて、今で言う半身浴+サウナのような状態だったと言います。
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