「透明な感性」が現れるとき


実は、筆者も、38年前、同じ光景を見た。

それは、やはり、生死の境の大病を与えられ、医者から見放され、死を覚悟した瞬間である。しかし、その絶望の底で、不思議なことに、目にするすべての光景が、静かに輝いて見えたのである。

では、この透明な心境と感性は、死を覚悟しなければ現れてこないのか。

いや、死というものを直視するだけで、瑞々しい感覚と感性は、現れてくるのであろう。

例えば、その素晴らしい感性で、見事な才能を開花させた、スティーブ・ジョブズ。彼は、2005年のスタンフォード大学卒業式での伝説的なスピーチで、こう語っている。

「私は毎朝、鏡の中の自分を見つめながら、こう自問し続けてきた。『もし、今日が人生最後の日なら、今日やろうとしていることを、本当にやりたいだろうか』と」

彼もまた、毎日、死というものを直視して生きてきた。そして、その生き方が、彼の中から素晴らしい才能を開花させたのであろう。

しかし、ジョブズの才能に憧れる人は多いが、死を直視した彼の生き方に学ぶ人は少ない。

なぜなら、死を直視することは、苦痛を伴う営みであり、決して容易なことではないからである。それゆえ、ある文化人類学者は、「人類の文化は、すべて、死を忘れるために生まれてきた」との極言さえ遺している。

されば、我々は、あのラテン語の格言、「メメント・モリ」(死を想え)を、心に抱いて生きるべきであろう。そのとき、心の奥深くから、透明な感性が現れ、想像を超えた才能が開花する。


田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Agenda Council元メンバー。全国7300名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は『運気を磨く』『直観を磨く』『知性を磨く』など90冊余。

文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.092 2022年月4号(2022/2/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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