「透明な感性」が現れるとき

我が国の幼稚園や小学校などの教育理念を読むと、しばしば「豊かな感性を育む」といった言葉が書かれている。

しかし、この「感性」という言葉、実は、その定義は極めて曖昧であり、それを身につけるための具体的な方法も、明確ではない。

だが、ひとたび学校教育の視点を離れ、人生において、どのようなとき、我々の中から瑞々しい感性が現れてくるのかを考えるならば、先人たちが遺した、心に残るエピソードが、いくつも心に浮かぶ。

例えば、「残照」「道」「光昏」などの作品で知られる日本画家の巨匠、東山魁夷氏。

氏は、若い頃、なかなか自らの才能を開花させることができず、世の評価を受けることもできず、苦悩の時代を過ごしていた。

しかし、運命であろうか、氏は太平洋戦争の末期、軍隊に招集され、熊本の地で、爆弾を抱えて敵の戦車に体当たりする特攻隊の訓練を受ける。そうしたある日、氏は、熊本城の天守閣から肥後平野の風景と、遠く阿蘇の風景を見て、涙が落ちるほどの深い感動を覚える。そして、その感動の中で東山氏の心には、切なる思いが湧き上がってくる。

「これを、なぜ描かなかったのだろうか。いまはもう、絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったというのに、もし万一、再び絵筆をとれる時が来たなら、恐らく、そんな時はもう来ないだろうが、私は、この感動を、いまの気持ちで描こう」

しかし、これも天命であろう。東山氏は、戦車への特攻で死ぬことなく終戦を迎え、日本画の世界に戻る。そして、その瑞々しい感性と才能を見事に開花させ、巨匠への道を歩んだのである。

あのとき、氏の心に、風景が輝いて見えたのは、絵を描く望みも、生きる望みも絶たれたからであり、すべてを諦め、死を覚悟したとき、静かで透明な心境が訪れたからであろう。そして、そのとき、心の奥深くから現れてきた透明な感性が、東山氏の才能を開花させ、多くの人々が感動する絵を描かせたのであろう。

では、なぜ、死を覚悟するとき、心の奥深くから透明な感性が立ち現れてくるのか。

この同様の体験を語った人物が、もう一人いる。

多くの読者の深い共感を呼んだ手記『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者であり、若くして悪性腫瘍で他界した医師、井村和清氏である。

氏は、検査の結果、自分の命が長くないことを知り、その日の夕刻、自宅に帰ってくる。そして、駐車場に車を止めながら、不思議な光景を見る。

「世の中が輝いて見えるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。犬が、稲穂が、小石までもが美しく輝いて見えるのです。そして、自宅に戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊く見えたのです」
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.092 2022年月4号(2022/2/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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