死後30年が過ぎてなお支持される尾崎だが、最近ではTikTok上で、「15の夜」の中盤「盗んだバイクで〜」のくだりをTikTokerが踊る投稿が中高生の間でバズるという現象も話題になっている。
この文章は、前編:「境界」を駆け抜けた尾崎豊の『卒業』に、精神科医が贈る言葉 に続き、少年と大人の、正常と異常の「境界」を駆け抜けたアーティスト尾崎豊への、4歳年上の精神科医からのオマージュである(以下、登場人物は敬称を略させていただく)。
浜田省吾の名プロデューサーが担当
尾崎と吉本隆明を結んだ音楽プロデューサー、須藤晃は、東京大学を出てCBS・ソニー(当時)に入り、尾崎が好きだった浜田省吾らをプロデュースしてきた。尾崎がまだ16歳の時オーディションを受けた同社で、須藤が尾崎担当となったことが、尾崎の将来を方向づけた。
須藤は当初、尾崎の「まるで人生を悟ったかのような硬直した詞が気に入らなかった」(『尾崎豊覚え書き』)。
私には、父から学んだ短歌や勉強に励む兄の姿、そして家族で食卓を囲みながら、口角泡を飛ばし哲学を語り合う尾崎家の様子が目に浮かぶ。尾崎はそれらをバックボーンに作詞したに違いない。その証拠に、ファーストアルバムの歌詞中4曲で、「体」の字のかわりに、父に教わった躰道の「躰」を使っている。
自分自身を見つめさせるため、須藤は音楽の話はあまりせずに尾崎の日常を訊いた。
「今どんな本読んでいるの?」と聞くと、カバンからエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を取り出し」た。(同書)
フロムは新フロイト学派の精神分析家、社会学者だ。1956年に書かれた「愛するということ」は恋愛のハウツー本ではなく、「愛は『成熟した大人』だけが経験できるものであり、本当の愛を体験するためには、愛とはいかなるものかを深く学び、愛するための技術を習得する必要がある」ことをしめした哲学書だ。「『愛される』ことよりも『愛する』ことのほうがずっと重要」と説く人生の指南書でもある(鈴木晶『フロム 愛するということ(100分de名著)』(2014年、NHK出版刊)。
私も法学部時代、尾崎の兄と机を並べたかもしれぬ講義室で、フロムの著書『自由からの逃走』を読んでいた。
雑誌「Pen」5月1・15日GW合併・特集「尾崎豊、アイラブユー」号など(著者蔵)
全曲の歌詞中「自由」は30回、「愛」は182回
尾崎は斃れるまでに6枚のオリジナルアルバム計71曲を紡いだ。メロディーより「詞先」と呼ばれるほど過剰な歌詞を分析した下河辺美知子によると、全曲中「自由」は30回、「愛」は182回出てくる。
「愛」は尾崎にとって終生離れられぬテーマとなった。
強烈な上昇志向を持ち、常に自分を変革したいと願う尾崎にとって、13歳年上の教養人須藤はかっこうの教師だった。須藤は尾崎に、のちにノーベル文学賞を獲るボブ・ディランの詩や、ギンズバーグ、ヘッセ、ジャック・ロンドンらの本を薦めた。その中に、吉本隆明があったという。
アルバム「誕生」の冒頭で歌う「LOVE WAY」の♪真実なんてそれは共同条理の原理の嘘♪は、明らかに吉本の『共同幻想論』の影響を受けており、難解だ。
音楽雑誌で「尾崎版『氷の世界』を目指したような曲」と評されたこともあるが、須藤との対談で尾崎は「本当のことを知ってる人が普通の恰好で同じことを歌った」と語る。「本質を客観的にみてごらん」という気持ちがあったという。だが、その言葉は若者世代に届いたとは言い難い。
尾崎の死の2年後、吉本は女性史研究家の山下悦子とともに、尾崎の父と対談している。
吉本はそこで尾崎を「明らかに言葉の人」で「本格的な評価をしないといけない」とし、「まったく違うようにみえても中島みゆきという人にとてもよく似ている」と印象を語っている。
これを読んで、震えた。全く同じことを私も考えていたからだ。