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2022.04.26 16:00

特別対談/スノーピーク 山井梨沙×貝印 遠藤浩彰 刃物のまちから世界へ。永続ブランドに導く「いま」の読み方

コロナ禍に加え、多くの社会課題が突き付けられるなか、スノーピークの山井梨沙は2020年3月に、貝印の遠藤浩彰は2021年5月に、社長に就任した。積み上げてきた歴史を背負いつつ、変革の扉を開くふたりが、サステナブルな企業経営について語り合う。


歴史から生まれた「衣食住働遊」と「医食美」


遠藤浩彰(以下、遠藤):刃物の町、岐阜県関市で私の曽祖父が最初につくったのがポケットナイフ。そこから貝印の歴史は始まりました。創業期から変わらないのは、我々のコアが刃物だということ。初代から2代、3代へと紡がれ、製品と市場を拡大し続けてきました。それを受け継ぐかたちで、2021年5月に私が社長に就任しています。時代と共に考え方やニーズは変わり、我々も新陳代謝を繰り返していまに至っています。いつの時代もニーズに応じた新しいものを常に生み出してきた。その姿勢が必要だと考えています。

山井梨沙(以下、山井):背景や歴史は貝印さんと非常に近いですね。初代の祖父が趣味で打ち込んでいたクライミングギアがスタートで、父の代からはオートキャンプ。登山と金物で30年、オートキャンプで30年。私が入社した2012年に、30年来となる新規事業としてアパレルを立ち上げました。

入社したときに父から、「10年後、20年後にキャンプのブランドじゃなくなってもいい」と言われたんです。その言葉で一気に視野が広がりました。現在は、人生を構成する「衣食住働遊」に沿って、すべてのライフステージで自然志向のライフバリューを提供できるブランドへ向かっているところです。

貝印(1908年に刃物の町、岐阜県関市で初代、遠藤斉治朗が創業。ポケットナイフ製造所からスタートし、日本人として初の国産カミソリ替え刃の製造に成功する。2代遠藤斉治朗はツメキリなどカミソリ以外にも製品を拡大、3代遠藤宏治(現会長兼CEO)は海外市場の開拓と医療分野への参入に注力。現在、1万アイテムにもおよぶ商品を展開するグローバル刃物メーカー。写真/下は「旬 Shun Classic」2本セット(三徳包丁・ペティナイフ150mm)。


遠藤:山井さんがおっしゃった「衣食住働遊」と同様に、我々は「医食美」を重要なカテゴリととらえています。特に食と美は人間らしい生活を送るうえで不可欠であり、どんなにテクノロジーが進歩しても、身の回りにあるものを提供し続ける企業の存在価値は大きく変化しないと考えています。

他方で、価値観の多様化、複雑化はコロナ禍で加速しましたよね。例えば、海外展開のなかで2016年に当社が工場を設立したインド。手食文化の国でありながら、実はあまり指先のケアに意識がありません。日本では当たり前の「ツメキリ文化」が広まっていない。そこでいま、事業の展開と同時にツメキリを使って手をきれいに保つことの啓蒙を地道に進めています。学校などへツメキリ年間5万個を無料配布して文化を広める草の根活動も行いました。コロナ禍で衛生管理の意識は高まっていますが、世界を見渡すとまだまだの場所もある。日本のよき習慣を発信していくことも、この国を拠点にしている我々の使命ですね。


貝印は自社工場のあるインドで雇用を生むだけでなく、地域の人たちの衛生面への意識を高めようと、ツメキリの配布を行っており、グローバルヘルスにも貢献する。

ビジネスの方向を変革させる時代の節目


山井:時代背景とニーズは直結しますよね。ITバブルのころ、急にIT関係のお客様が増えた時期があったんです。そのときに会社として感じていたのは、多くの人が文明社会に疲れているのではないか。仕事や生活をデジタルに制御されて、人間性が低下しているのではないかと。それなら自然と人をつなぎ直すことで、文明社会で失われている人間性を回復しようと考えました。きっと文明都市が増えるほどに、我々の事業の需要は高まるはず。この仮説をもち続けていたところに、コロナ禍が来た。多くの方が「自然」とのかかわりを見つめ直すきっかけとなり、キャンプをレジャーのひとつとしてとらえる方が増えたように思います。

遠藤:我々もコロナ禍による変化は大きかったです。マスク生活となってヒゲを剃る頻度や化粧をする機会が減り、売り上げが落ち込む事業も当然出てきました。一方で、在宅時間が増え、家での暮らしを豊かにしたいというニーズが浮かび上がった。顕著だったのは、ダウントレンドだった製菓用品が急伸したんです。また、よりよい道具へのニーズも高まっていて、例えば高品質な包丁を購入して使い、さらに自分でメンテナンスしながら大切に使おうという方も増えて、砥石の売り上げも伸長しました。おかげさまで、当社にはキッチン用品やビューティケア用品をはじめ、医療用品、業務用刃物まで1万点を超える商品があります。変化する時代の要望にも広く応えられる。事業によって浮き沈みはあるものの、全体でバランスが取れて安定性が保たれるのは、当社の強みですね。

山井:関がこれほど発展したのは、やはり貝印さんがあるかないかだと思っていて。貝印さんが関の金属加工を進歩させてきたから、いまもなお産業として成立している。もちろん燕三条にも腕のいい職人さんがいて、鍛冶場もあります。ただ、中核となる大企業がいなかったせいか縮小傾向で、技術が継承されていない状況にもなっています。地場に根ざしたモノづくりと、技術のレベルを引き上げてきた貝印さんは偉大だなあとずっと思っていました。我々もさらに地元の産業に貢献していきたいと、企業としてのモチベーションになっていますね。


カミソリ®(創業110周年となる2018年、遠藤を中心に社員有志が集い、新しい価値をもつカミソリを模索するプロジェクトを発足。「いつでも清潔で快適」を提供する1Dayカミソリをコンセプトに掲げ、環境への配慮から紙素材に着目。世界初(※)となる「紙カミソリ®」を商品化し、2022年3月22日よりローソンで先行発売された。※金属だけでできたヘッドと紙ハンドルからなるカミソリ(特許第6894054号)。)

プロダクトやサービスで地球環境を守る


遠藤:我々の環境保全へのアプローチとして、今年ようやく発売にこぎつけたのが「紙カミソリ®」です。なぜ、カミソリなのか。初代が安全カミソリの替え刃を国内で日本人として初めて製造し、2代が軽便(使い捨て)カミソリの販売を開始しました。3代の父の時代には、世界に先駆けて3枚刃替え刃式カミソリを世に送り出しています。創業以来100年を超える歴史のなかで、貝印はカミソリでイノベーションを起こしてきたと自負しているんです。受け継いだ私自身も、その思いは強い。ただ、商品化に至ったものの、買っていただけるのかは正直読み切れていません。あくまで環境負荷を抑えた商品として提案する選択肢のひとつ。もしこれが主流になれば、我々のモノづくりをも変えるような試金石になる。打ち上げ花火で終わらないよう、今後もサステナブルな商品を打ち出していきたいですね。

山井:私たちが目指していくのは、少し誤解を生みそうな言葉ではありますが、「社会人から地球人にしていく」ことです。自然の力、キャンプの力で、社会人の価値観から地球人の価値観に変えていく。結局、SDGsやESGとわざわざ言わなければならなくなった背景は、営利目的による経済活動が環境に負荷をかけたからだと思うんです。それが一般消費者の視界だとなぜ起こっているのか、何に取り組まなければならないのかが見えにくい。もちろん我々も事業会社なので、売り上げは重要です。環境に対して向き合い、しっかりと取り組めるアウトドアパーソンを増やすことが、自然と人をつなぎ直すことになりますし、事業にもつながる。それを個人から家族へ、地域へ、社会へと広げ、最終的にグローバルでキャンパーを増やすことができれば、環境に対していちばん貢献できるのではないかと考えています。

100年続けるためのサステナブル企業の核



やまい・りさ(左)◎1987年生まれ。スノーピーク代表取締役社長。国内アパレルブランドを経て、2012年同社に入社。14年アパレル事業開始、18年からプロダクト、クリエイティブ全般を統括し、「LOCAL WEAR bySnow Peak」プロジェクトなど新規事業をけん引。19年に副社長、20年3月から現職。
えんどう・ひろあき(右)◎1985年生まれ。貝印およびカイインダストリーズ代表取締役社長兼COO。2008年同社に入社し、生産部門会社、海外関連会社への出向を経て14年に帰任。国内営業本部や経営管理本部の副本部長を経て、経営戦略本部など3部門で本部長を歴任。18年に取締役副社長、21年5月から現職。

遠藤
:山井さんがおっしゃる通り、一人ひとりが豊かな人間性をもつことは重要だと考えています。大切なのは「人」。中期経営計画のテーマにも「人も会社も成長できる高信頼性組織」を掲げました。燕三条も同じだと思いますが、地元の歴史を脈々と紡いできたのは人の力ですし、技術やノウハウを伝承してきたからこそいまがあります。これらを未来につなげるのは使命。また、自社だけでできることは限られるので、地元のパートナーとさらなる共創をしていくことが必要になってくる。これもまた、人のつながりによるところは大きいですよね。

山井:人から人というのは、その通りだと思います。2021年に新潟の本社で初めて大規模な体験型展示会を開催しました。これまではバイヤーを対象にした展示会を東京で行っていましたが、今回は新潟に卸先やサプライヤーなどすべてのステークホルダーをお招きしたんです。衣なら大量生産・大量廃棄、食ならフードロスや生産者の減少といった社会課題に対し、我々が「衣食住働遊」の事業でどう解決しているのかを示しました。いま何が問題で、何をしなければならないのかを共有する場としたんです。その日までは、普通にブランドとサプライヤーの関係だったのに、「これだけのことを考えているのなら、いまの資材をリサイクルできないか技術開発します」と言っていただいた大企業さんもいて、再生工場のラインをつくってくれるきっかけになったんです。この場で、自然発生的にたくさんのアクションが起こりました。同じ価値観を共有して、一緒に動ける。コミュニティのすごさを実感しましたね。

遠藤:我々はプロダクトを通じて社会問題を解決していきたい。そう言うとやや大げさかもしれませんが、ソーシャルグッドな商品を増やせれば、行動変容につながる、気づきを与えられるはず。貝印はファミリーカンパニーでオーナー兼経営者がずっと紡いできました。古きよきものを守ることも大事ですが、それに縛られ続けていては衰退を招きます。持続させるために、時には過去の成功体験を自己否定しながら、新たな挑戦をする。非上場でオーナー兼経営者だからこそ、そうした覚悟をもって取り組めるのは強みだと感じます。

山井:私は本質的な企業価値をもっているかどうかが最も重要かなと思ってます。スノーピークでい うと、それは自然の力で人生価値を向上させることや、フィールドというプラットフォームの上に広がる体験やコミュニティ形成もそう。そのコアバリューがぶれなければ、企業は時代の流れに合わせて変化し、進化していけると思っています。

遠藤:山井さんも同じだと思いますが、私はバトンをもらいました。次の時代に引き継ぐのは使命です。貝印はすでに創業100年を超えていますが、次の100年、200年、その先まで紡いでいくために必要な姿勢が挑戦です。世の中に対して誠実なのかどうかを自問自答しながら、時代に求められる新しい価値を創造していきたいですね。

スノーピーク:1958年に鍛冶の町、新潟県燕三条で初代、山井幸雄が創業。金物問屋業と並行し、燕三条の職人技術を生かした独自のクライミングギアを開発。86年に2代、山井太(現会長)が入社し、いまに続くオートキャンプ文化を形成。96年社長就任とともに社名をスノーピークへ。ハイエンドなキャンプギアを提案し続けるアウトドアメーカー。写真/下は2022年4月15日にオープンした複合型リゾート「FIELD SUITE SPA HEADQUARTERS」。

promoted by Kai Corporation / text by Daisuke Nakamura / photographs by Shuji Goto / edit by Miki Chigira