サステナビリティに取り組む企業や担当者の数が増えるのは大変好ましい事だと言えますが、筆者は日本企業のサステナビリティに関する活動が「良く言えばおとなしい、悪く言えばパッシブ(受動的)であり、そして形式的である」と感じています。
日本のサステナビリティは「形式的」?
例を挙げましょう。著者が先日、サステナビリティをテーマにした国際的なイベントに参加した時のこと。あるセッションで、「なぜ人権の問題に取り組むのか」というファシリテーターからの質問に対して、とある大手企業のパネリストは「投資家からの要請である」と回答していました。
そしてセッション終了後の質疑応答で、客席の大学生からこの件に関して質問がありました。「投資家は自分たちから遠い存在です。いち消費者としての自分に、何かできることはないのか」というものです。
するとパネリストは、かなり長い時間考えた後、「学生の皆さんにはまだ分からないと思うが、企業に勤めるようになれば投資家の重要性が分かると思う」という趣旨のコメントをしました。このやりとりについては賛否両論があると思いますが、筆者はホロ苦さを感じました。
何も行動を起こさないよりは、投資家の要請に従う形ででも、何かをした方が良いことは確かです。しかし言われたことだけをやって満足するのは違います。日本を牽引すべき存在である大企業がそんなことでは、日本のビジネス界におけるサステナビリティの未来は、明るくなりません。
別のセッションでも、どちらかと言えば「形式的」と言わざるを得ないような取り組みの紹介が少なくありませんでした。
「トレーサビリティの実現」と唱えているものの、原料農家を把握するところまでで終わっているものや、水の使用量を減らすのではなく、使った水の使用量を相殺できるだけの森林を購入するというものなどです。
もちろん本気で何かを変えようとしている企業もありましたが、そうでないセッションが多かったため、個人として、また会社としても、どうすればもっと踏み込んだアクションができるのかを考えさせられました。