当時、東京のJINSの提携先に所属していた二口圭介(写真中央)は、田中との交流を深めていくうちにプレゼン資料を一緒につくるようになった。「起業家は社会に活力を与える存在。そのメッセージを強調したいと言っていましたね」。熱が伝わったのか、二口は前橋のまちづくりにもかかわりはじめ、移住。コロナ禍では群馬の病院にクラウドファンディングでお弁当を届けるプロジェクトを展開するなど、地域に溶け込んでいる。
官民共創でビジョンをつくる
前橋で設計事務所を構える橋本薫(写真右)は、2013年第1回のGIAを見て、「前橋は余白だらけのまち。ここにゼロからイチを生み出せる人が入ったらまちが変わる」と興奮を覚えた。同年、対談イベントで田中と登壇した橋本は、廃業したホテルの再生話を持ち込む。同様の話をほかからも受け、「前橋には泊まりたいホテルがなかった」と田中は購入。しかし、そこからが苦難の道だった。
「運営会社数社に頼んだら、『ホテルは人の集まるところにつくる。前橋はどんなまちなのか』と軒並み断られました。そこで、官民共創で前橋のビジョンをつくるところから始めました」。
できたビジョンは「めぶく」。それに沿ってホテルのコンセプトも決まった。訪れる人と地域の人の交流から何かがめぶく「まちのリビング」だ。建築家、藤本壮介は4層を貫く吹き抜けの改修案を出してきた。吹き抜けをつくると、その分、部屋数は減る。しかし、田中は新しい価値の創造ととらえ、優先した。改装を進めるなかで、隣地の新築計画も生まれ、購入してから6年半の歳月が流れていた。開業したのは20年12月だ。ただ、時間をかけた分、よかった面もあった。橋本はこう証言する。
「当初は、田中さんがビジネスでやっているんじゃないかと批判的な声もありました。しかし、工事期間中、田中さん本人が地域の人たち向けに説明会を開催したり、僕と二口も前橋のビジョンを体現するような社団法人を設立し、イベントを重ねたことで、皆さんの反応が変わってきた」。
その様子がよくわかるのは、開業前のお披露目だ。田中はプレス向け発表会の前に、真っ先に商店街の人たちを招いた。普段はスニーカーで仕事をしている女性が、化粧してヒールを履いてやってきた。地域の人たちも、めぶく場所の完成を心待ちにしていたのだ。
それまで田中は個人による社会貢献活動を会社と切り離していた。しかし、21年のJINS中間決算発表会で、はじめて自分の地域への取り組みを話した。
「まわりには止められました。でも、話をしたら、アナリストや機関投資家が『素晴らしい』と。時代は変わりましたね。社会貢献という意味では、個人と会社を分けて考える必要はないのかもしれません」
田中 仁◎ジンズホールディングス代表取締役CEO、田中仁財団代表理事。88年7月、ジェイアイエヌ(現ジンズホールディングス)を設立。2001年、アイウェア「JINS」を開始し、06年現JASDAQに上場。13年、東証一部上場。14年、田中仁財団を設立。