時代を読む、ストーリーのあるホテルNo.16 「ザ・キャピトルホテル 東急」

坂を上りつめてホテルに近づくとダイナミックなひさしが印象的なエントランスが現れる。隈研吾氏の独特なデザインが目に飛び込んでくる。

男女を問わず、社会の最前線で活躍するエグゼクティブたちは、魅力溢れる日本のホテルをどのようにお使いだろう。

せめて月に一度、可能なら二度でも三度でも、誰にも邪魔されず、リモートワークでも、寛ぎでも、遊びでも、自分のために滞在してみるといい。

日本のホテルは旅館の歴史と相俟って、伝統的かと思えば西洋のホテルのごとくスタイリッシュに最新鋭設備を纏う、東西融合の技や感性はピカ一だ。

もてなしも、デザインも、世界レベルへと進化を遂げている。

まずは週末、金曜日の夜にチェックイン、ゆったりと日曜日が終わるまで、我儘な時を満喫するのが大人のホテルの流儀である。

ホテルジャーナリスト せきねきょうこ


ホテルのブランドストーリーを読むと、「1958年以来、経営ノウハウを高く評価されていたヒルトン・インターナショナル社とホテルの運営のために20年の契約を結んだ東急側は、第一回の東京オリンピック・パラリンピック開催の前の年、1963年6月20日に日本初の外資系ホテルが誕生」と記されている。

超都心の小高い丘を舞台に、木々の緑に包まれて建つ「ザ・キャピトルホテル 東急」の歴史は、こうして、赤坂の日枝神社の裏手、「星ケ岡」と呼ばれる一等地に始まった。

最初は華族の社交場の会員制倶楽部として、また明治期より“賓客をもてなす地”として、外資系ホテルの歴史は華やかに始まったのである。そして大正から昭和にかけ、美食家・北大路魯山人が会員制料亭「美食倶楽部 星岡茶寮」を主宰。さぞかし夜な夜な集まる文化人や文筆家、財界人、政治家、セレブリティらが賑わいのあるディナータイムが繰り広げられたのであろう。

そんな華やぐ歴史を纏ったホテル「ザ・キャピトルホテル 東急」は、1984年1月1日、ヒルトン社との契約終了に伴い「キャピトル東急ホテル」に改名されている。

さらに時を経て、未来へと躍進を目指したホテルは、高層ビルへと新築工事を行うため2006年に閉館、約4年間もの閉鎖・工事を終え、2010年10月22日、「東急キャピトルタワー」(29階建て)内に、東急ホテルズのフラッグシップとして、「ザ・キャピトルホテル 東急」が開業を迎えたのである。閉館の際、リピーターはホテル解体をどれほど惜しんだことか、私の周囲にも様々な声が聞こえてきた。

そして、新たに生まれたホテルの外観、ロビーのデザインは隈研吾氏が担当。天井の造りは釘や接着剤などを使わない木造りの斗栱(ときょう、柱上部などに設置され軒桁を支える日本伝統的工法の名)がモチーフ、日本の伝統を重んじる世界的な建築家、隈研吾氏は、周囲に広がる都会の森との一体感にこだわり、自然との調和を常に重んじる日本建築をデザインしたと言われている。


エントランスの木彫のひさしと連動するように、天井にも使われている木組みが美しいメインロビー。
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文=せきねきょうこ

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