セオドア・ルーズベルト「読書家」
ストーリーテリングは、セオドア・ルーズベルトの形成期にも影響を与えた。ルーズベルトは「猛烈な読書家」になった、とグッドウィンは述べている。本により、ルーズベルトは「冒険を重ねる憧れのヒーローの生活」にいざなわれた。
ルーズベルトはかつて、リーダーは全ての分野で人間の本質を理解する必要があると述べた。人がどのように感じているかを理解する最善の方法は「想像力豊かな偉大な作家」の作品を読むことだ、と彼は指摘している。
ルーズベルトの読書や歴史への愛は、1902年に生じた半年にわたる炭鉱ストに平和的な解決策をもたらす役に立った。反乱の火種となった労働者と経営者の間の深い不信感の歴史を理解していた彼は、労働者に共感し、明白かつ簡潔にコミュニケーションを取ることができたのだ。
アイデアを簡素化するルーズベルトの能力は、報道機関と一般大衆の関心を引いた。彼は、大統領として初めて全立法議案を「The Square Deal(スクエア・ディール、公正な取り決め)」の3語にまとめた。
これは、政府が企業と賃金労働者、裕福な人と貧乏な人の間の公平性を追求すべき、ということを意味していた。米紙ワシントン・ポストは1905年、ルーズベルトの説明を「非常に簡潔で理解できるもの」と評価している。
フランクリン・D・ルーズベルト「説明者」
フランクリン・デラノ・ルーズベルトは14歳のときに全寮制の学校に入学し、彼はそこでディベートチームの一員として自分の得意分野を見出したとグッドウィンは語っている。フランクリン・ルーズベルトが「説得力のある論理的思考と感情のレベルで聴衆とつながること」を学んだのもこの場所だ。
ルーズベルトは、専門用語を使えば感情のレベルでつながることは無理だと理解していた。ルーズベルトは有名な「炉辺談話」で、職員が準備した難解な金融関連の文章を言い換えて「分かりやすい言葉」にしていた。
ルーズベルトは非常に味気ない話題も興味深く理解可能なものとすることで、大衆を自分のアイデアに引きつけ、うわさを鎮め、戦争と不安の時期に国民を安心させることができた。