最近、私のアニメ好きが高じて、ひょんなことから仲良くなった「D」という名のインスタグラマーがいる。
日本においても当たり前のインフラと化したインスタグラムで、フォロワー数の上位には超がつく大物俳優やミュージシャン、モデルなどがずらっと並んでいるが、純粋なインスタグラマーとして、このDはフォロワー数260万人という大きな数字を誇る。テレビなどの活躍の舞台を有している人たちを除くと、国内で1、2を争う存在となっている。
Dは何か特定のエンターテインメントにおけるパフォーマーではないが、自身の興味関心の高いアニメ、ファッション、動物殺処分反対、そして多言語投稿などにより独自の世界観を形成し、多くのファンを積み上げている。そこが、他のミリオン超えするフォロワー数を誇る人たちとは異なり、とてもユニークだ。
等身大で生み出す世界観はそのままDの人格となり、人格が国を超えて共感を呼び、Dは数百万人のフォロワーを抱えるトップインスタグラマーになった。本人は世界観づくりに注力しながらも、できるだけ自分が写真に写り込むよう意識しており、そうすることで世界観が人格を帯びていくことを大切にしているそうだ。
まったく関係ないように思うかもしれないが、私はこの話を聞いたとき、企業にも人格というものが存在するのでは、と感じた。
法人格という言葉はもともと存在するが、会社法的な意味合いとは別の意味で、企業のパーソナリティというべきか、人における人格のようなものが、企業にも存在している。
昨今はビジョンやパーパスが声高に語られるが、ブランドともまた少し違う、企業としての人格を考えることもとても大切だ──という話が、ちょうど時を同じくして社内でも出た。
例えば、ソニーであれば、突き抜けたテクノロジーで世の中を便利なだけでなく楽しくしようとしているな、という人格を感じる。メルカリであれば、いつも想像以上に大胆なことを仕掛けそうだな、という人格。近いところだと、サイバーエージェントはとにかく若手にチャンスを与え、新規事業をどんどん仕掛けていく人格。
ビジョン・パーパスや事業内容で定義されるだけではない、企業としての世界観、そこからにじみ出てくる人格を感じさせる会社が、世の中にはある。