この質をあげる、あるいは維持するために、1人ではいくら頑張っても空振りする可能性も高い。それよりも「言い出しっぺ」と参加者が協力した方が、場の質が確保されます。ただ、参加者がそれぞれに料理を持ち寄るスタイルとは一線を画し、もう少し統一されたポリシーが料理の選択やレベルに反映されます。
その選択の一つとして、プロにも手伝ってもらうという考えの先に、レストランという存在があります。補助的な位置づけですね。料理のレベルをあげることもさることながら、素人だと生じやすい穴を埋めるのという役割が期待されるということもあります。
プロセスが幸せをもたらす
さらに突っ込んでみましょう。「関係価値」という言葉があります。2年前にぼくが訳したソーシャルイノベーションの第一人者、エツィオ・マンズィーニの著書『日々の政治 ソーシャルデザインをもたらすデザイン文化』でも触れています。前述した「場の質が第一で、ホストは二の次」を支えるのが関係価値になります。
人付き合い、信頼、共感といった無形資産は、有形資産と同じくらいに人の欲求を満たすに必要で、何らかの具体的な成果よりも、一緒に何かをつくりあげることを優先する。これが関係価値です。プロセス自体が幸せをもたらすことに気づいているわけです。
具体的な結果ばかりを重視する場合、プロセスは効率が評価されます。他方、関係価値のためには、プロセスに費やす時間やコストに出し惜しみしません。「職人の仕事はプロセスに価値がある」とする議論にも通じていますね。精巧で凝った作りのモノだから評価するだけでなく、そこに職人の仕事のプロセスが詰まっているから惹きつけられるのだ、と。カギは全体性です。
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今月出版される、中野さんとの共著『新ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)でも書きましたが、以上のような思考は、ある権威的な存在がコンセプトを決めてすべてを仕切る“旧型ラグジュアリー”とは正反対にあります。
企業と消費者の両者がコラボレーションを重ねて一つのものや場をつくりあげるというのが、“新しいラグジュアリー”を支持するに相応しい民主的な思考経路だと思います。ここで使う「民主的」という言葉については、少し長いですが、新著でぼくが「はじめに」で書いた文章を引用しておきます。
“大衆化は、上下のあるなかで上にあるものが下におりてきて広く普及することです。民主化は、上下そのものをなくし、かつ公平な機会のもと新しい価値を人々の創造意欲によってつくりだすことです。
つまり大衆化された先は行き止まりです。どこにこの先、前進すれば良いか、その方向が見えません。願いをもちようがないのです。一方、民主化には壁がありません。常に新しい領域が水平に拡大するイメージです。
仮に拡大が停止しても、再起動するメカニズムがシステムのなかに埋め込まれてあります。なぜなら、民主化とは「学び」と「自由な発意」がプロセスのなかに含まれているからです。そこで私たちは歩む向きを変え、自然環境から社会システムに至るまで、リアルに日常世界に展開されるだろう「新しい風景」を探しに行けるのです”
連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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