ホストとゲスト 「関係価値」とラグジュアリー

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中野さん、「新しいラグジュアリーをつくる」講座でのプレゼンをテーマに取り上げたのですね。皆さん、どれも高い質のアイデアやアプローチを見せてくれました。

「ホストする」の意味を問うプレゼンも印象的でした。その発表を受けて考えたことも含め、今回はイタリアのライフスタイルに触れながら、中野さんのお題にコメントをお返しします。

誕生日パーティは本人が主催する


イタリアで生活をはじめた頃、友人の誕生日パーティに度々招かれ、文化ギャップに戸惑いました。およそ30年前になりますが、「誕生日を友人と祝うのは子どもの習慣」という頭で日本からきたぼくは、大人が誕生日を毎年盛大に祝うこと自体が意外でした。

しかし、何よりも驚いたのは、誕生日を迎える本人がパーティを主催する風習でした。自分の誕生日を友人たちに祝ってもらいながら、友人たち自身が笑顔になることに猛烈に知恵を使うわけです。

その理由を友人たちに聞きました。しかし、はっきりとした背景は分からなかったと思います。民俗学の専門家なら、「それは……」と説明するかもしれませんが、普通の人にはあまりに当たり前のことなので、その所以などを考えること自体、考え及ばないのです。


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ただ、自分の祝い事を自分で企画する例として、結婚式の披露宴なら日本でも当たり前です。友人たちがサプライズで披露宴を準備するなど稀でしょう。ですから、イタリアでの誕生日パーティをあまり特別視する必要はなく、「たまたま、この手のイベントでは当事者が主催者」とのケースが、地域とイベントの種類によって差異があるくらいに考えるのが妥当なのかなと思います。

人は皆で一緒になって食べて飲む機会と、その「理由付け」をいつでも探しているのです。文化を問わず、です。上下関係のあるおつきあいでの食事は気が進まなくても、気心の知れた人たちと食卓を共にする習慣をムキになって否定する人もあまりいないでしょう。

この目的においては、誰がその場をホストするかなど、実は二次的なことなのだと思います。

ソーシャルライフの観点からみてみます。上述のイタリアの誕生日会もそうですが、必ずしもレストランで料理を囲むのを前提しておらず、自宅や山や海にあるセカンドハウスで行うこともあります。自らが厨房に立ち腕をふるい、お気に入りのワインで友達を喜ばせるわけです。仮に、この光景を当たり前とすると、お金を払ってお店のアレンジをするのは、ホスピタリティとして一段低いと見られる場面もあります。それはソーシャルライフの質として受け止められるわけです。

もちろん、それぞれに事情はあります。必ずしもレストランでのホストはランク落ちと一律に決めつけているわけではありません。肝心なのは「場の質」です。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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