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2022.03.28 16:00

<寄稿>新しい資本主義のカギとなる「社会的共通資本」とは何か?〜アダム・スミス、ヴェブレン、宇沢弘文が描いた軌跡

「格差や環境問題、パンデミックといった危機を乗り越えるためには新しい資本主義が必要」。
そんな議論を耳にするが本質はどこにあるのか──。宇沢国際学館 代表取締役の占部まりが迫る。
(本記事はボルテックス100年企業戦略オンラインに掲載された記事の転載となります。)


宇沢弘文(1928〜2014)は、ノーベル経済学賞に一番近い日本人と言われながら、人間の心を経済学に取り入れることを模索していた異色な経済学者でした。1950年代から、資本主義の問題点に向き合い、市場原理主義からの脱却、”新しい資本主義”を訴えていました。2014年に他界しましたが、その理論が再評価されています。数理経済学という立場から、人々が幸福に暮らせる社会とはということを根源的に突き詰めていたがゆえ、その理論と思想が今、注目されているのではないでしょうか。宇沢が残した社会的共通資本の考えを基盤に、企業の持続可能性を考えていきたいと思います。

1991年宇沢は、ヨハネ・パウロⅡ世に呼ばれ、バチカンを訪れています。1891年5月にレオ13世によって出された、「レールム・ノヴァルム(新しい回勅)」を記念して出される回勅へのアドバイザーとして招聘されました。1891年レオ13世の回勅の副題が、『資本主義の弊害と社会主義の幻想』でした。この時代、産業革命以降の工業都市では、労働者の搾取が社会問題となっていました。労働者たちが、社会主義になれば、この悲惨な状況から脱却できるのではないかという幻想を抱いていることに危惧したレオ13世が、過激な社会主義においては、人間の存在や魂の自立すら維持できない、階級的対立や競争によってではなく、人類がお互いに協力し助け合うことで困難な時代を乗り越えていくべきであるという趣旨の回勅を出したのです。教会として、社会問題に向き合うようにと発されたもので、画期的なものでした。今でこそ、教会が社会問題に向き合うことが当たり前となっていますが、その当時の常識からは考えられないものでした。

そのような画期的な「レールム・ノヴァルム(新しい回勅)」を記念し、1991年に編纂された新しい「レールム・ノヴァルム)」の副題に宇沢が提案したのは、『社会主義の弊害と資本主義の幻想』でした。当時、100年前と比べ世界情勢は大きく変わっていました。東側諸国での社会主義の弊害は明らかで、一方で、市場原理主義の考え方をもとに資本主義の幻想が作り上げられていっていることを宇沢は危惧しておりこの副題を提案し採用されました。同じ年にソビエト連邦が崩壊したことは、象徴的な出来事でした。

なぜ今、マルクスに光が当たるのか?


ローマ教皇の回勅の副題を見ても1891年から1991年、人類は資本主義と社会主義との間を振り子のように行ったり来たりしていました。それからわずか30年ほどで、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』に端を発し、マルクスに注目が集まっているのも、振り子の反動なのかもしれません。しかし、歴史から鑑みるに、資本主義も社会主義も単独では、”誰一人取り残さない社会”を構築するには至っていないようです。そこで、その両者を包含するような制度を経済学のシステムから考えたのが、制度主義を基盤に置く社会的共通資本という考え方です。

社会的共通資本は、ゆたかな社会に欠かせないものは、国やその地域が守る必要があり、市場原理主義にのせ、利益を貪る対象にはしてはならないという考え方です。生物の生存に欠かすことのできない、空気や水といったものから、医療や教育といった様々な必要度が高いものは、需要が途切れることはありません。制限がなければ、いくらでも値段をあげることができます。そうなると、経済的弱者の手に届かないものとなってしまいます。そうではなく、社会的共通資本に、平等にアクセスできることが、社会の安定に繋がり、それこそが、経済がゆたかに循環する基盤になるという考え方です。

経済学の祖と言われる、アダム・スミスは『道徳感情論』で、”共感”と言う概念から人間性の社会的本質にアプローチしています。喜び、悲しみといった人間的な感情は、個人個人に固有なものですが、それが、その人だけにしかわからないというものではなく、他の人々は共感することによってお互いを理解することができる可能性を持っています。この共感こそが社会の安定を生み出していくとも言えます。共感という基盤があれば、一人一人の市民が、人間的な感情を素直に、自由に表現し、暮らせるような社会が構築されるのではないでしょうか。そのためには、経済的な面で十分にゆたかであることが必要となります。さらに、健康で文化的な生活を営むことが可能になるような物質的生産基盤が作られていなくてはなりません。

その物質的基盤を支えるものの一つが、営利企業であることは間違いありません。営利企業は人間が生活するのに必要な多様なものを生み出し流通させています。営利企業ですから、本質的には利潤を求めた投資の場となります。近代の社会システムを支えるためにはなくてはならないものでありながら、”利潤”という明らかな目標があります。アダム・スミスの『道徳感情論』から端を発し、制度資本という考え方の基盤を作った、ソースティン・ヴェブレンは予言しています。「近代文明を支える物質的な枠組みは産業体制であり、この枠組みに生命を与えているのが、営利企業である。この近代的な経済組織は、『資本主義制度』あるいは『近代工業社会』と呼ばれる。その特徴的な性格は、マシーン・プロセスを中心とし、投資が利潤を求めておこなわれることである。このことによって、資本主義制度が近代文明を支配することになる」。

ヴェブレンの予言通り、近代文明は資本主義に支配されています。資本主義は、生産手段の私的所有と利益のための運用を基本とする経済システムとされています。資本家が、労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る仕組みです。自由に労働力を提供するシステムと表現されることもありますが、資本家が労働力を買うということが前提となっています。資本家はこの場合、企業と言い換えても差し支えないでしょう。資本家も企業も利潤を求める性質があることから、利潤を高めようと考えた場合、労働力を”搾取”することが、一番効率が良いことは確かです。効率性を優先しながら、労働力を搾取しない企業は成立するのでしょうか。

社会が本質的にゆたかになるシステムとは?


現実では、行きすぎた社会主義においては、労働者の搾取は留まるところがなくなります。資本主義では、市場というリミッターがかかりますが、その効果は今のところ、暫定的と言わざるを得ません。市場のシステムを最大限に生かし、ただひたすら、利潤を求めていけば、労働力に限らず自然環境などの搾取に繋がり、直接的のみならず、間接的にも、社会へ負荷をかけることとなります。その現実を自覚するが故に、悩まれている企業も多いのではないでしょうか。企業の本質的な動き、つまり利潤を求めるという行為が営まれても、社会が本質的にゆたかになるシステムを構築していくことが重要です。繰り返しになりますが、その基盤が国や地域として適正に社会的共通資本を管理運営することになります。そのことを踏まえ、企業がその活動がどのような影響を与えるかの解像度を上げて自覚することが、ゆたかさへの第一歩となるのではないでしょうか。

経済制度とは、市民の基本的権利が充足されるよう、人間活動の不断の働きかけによってたえず進化していくものとしてヴェブレンは考えていました。確立し変化しないものではなく、流動的にその時代に即したように変化していくものであるとしていました。実質所得の分配の公正性や、社会的安定性、そして自然環境の持続可能な利用などを確保するための制度諸条件は、人々の絶えることのない働きかけによって達成されるのです。かつて当たり前であった、奴隷制度が現代社会においては許されざる制度として社会が変容してきたように、現代社会にも大きな変化を求められています。人の想像力はとてもゆたかなものですが、その限界があります。臨場感を持って自分ごととして自覚できる範囲はさらに限られています。その想像力の先にも人々が生活を営んでいます。それらの人々の、生きる尊厳を毀損しないために、極言すれば、現代的奴隷制度の構築を阻むものが、社会的共通資本という理論ではないかと考えています。
 
 人は成長を求める生き物です。それも自分自身単体の成長ではなく、他者とのつながりで認識されるものです。また、他人とのつながりが幸福や健康に大きな影響を与えていることがわかってきています。他者との関わりの中で、自身の役割を見出すことが、幸福という感情につながっていきます。経済活動は人々のつながりを生み出す行為でもあります。現代社会になくてはならない経済活動というものが、ゆたかな社会を支えるものであるという高次元の目標が重要で、利潤を求めるのは、その目標を達成するものであるという認識を強化することが必要ではないでしょうか。そのような活動をごく自然にできる場というものの醸成が求められていると感じています。そのような場はどのようにすれば成立していくかを模索するために、2022年5月1日に京都大学に社会的共通資本と未来寄付研究部門が発足することになりました。地球温暖化問題、新型コロナ感染症、今我々は大きな転機に直面しています。社会的共通資本という理論が社会変革の大きな助けになると思います。企業というものも社会の一部であり、社会の問題も包含しており、単独で改革することの難しさももちろんあります。しかし、その逆も真なりで、企業が変わる事で、社会も変わっていく可能性を著者は感じています。



占部 まり(うらべ まり)◎宇沢国際学館 代表取締役。1965年シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。1990年東京慈恵会医科大学卒業。1992~94年メイヨークリニックーポストドクトラルリサーチフェロー。地域医療の充実を目指し内科医として勤務。2014年宇沢弘文氏の死去に伴い、宇沢国際学館取締役に就任。2016年3月には国連大学で国際追悼シンポジウム開催、2019年に日経SDGsフォーラム共催『社会的共通資本と森林』『社会的共通資本と医療』など。


本記事は「100年企業戦略オンライン」に掲載された記事の転載となります。元記事はこちら

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