アメリカ本土からは遠く離れた国の戦争を、人々が注視して反戦のデモが行われるこの空気感は、2001年のアメリカのアフガン侵攻、イラク侵攻のとき以来である。
そのときと異なるのは、ユーチューブやSNSを通じて、個人が発信した現地の状況がより生々しく伝わって来ることだ。
国連では、ロシアが常任理事国を務める安全保障理事会が機能していないのは既知の事実で、40年ぶりに開かれた緊急特別会合では、ロシア非難決議が採決された。法的な拘束力や実力行使には結びつかないとはいえ、国連としての強い意思を示したかたちだ。
NY市には15万人のウクライナ人
その国連に近い東49丁目にあるウクライナのニューヨーク総領事館の入口には、戦争の犠牲者を悼む花がたくさん置かれ、義勇軍に志願しようとする人たちに向けたメールアドレスとQRコードなどが貼ってある。
私が総領事館の前を通りかかったときも、志願者たちが写真付きの応募書類を持って入口に並んでいた。ニューヨーク市警も車2台で総領事館の警護に当たっている。
ウクライナは、スペインとポルトガルを合わせたイベリア半島とほぼ同じ大きさの国で、テキサス州よりも少し小さく、日本の約1.6倍の面積がある。ユーラシア大陸の中央部にある広大で豊かな穀倉地帯を持つ国ではあるが、歴史を辿ると、東西や北側からの侵略により、支配者の入れ替わりが実に目まぐるしく、民族が入り乱れ、宗教、言語の塗り替えが何度も行われている。
ニューヨーク市には、ウクライナ系市民が約15万人住んでおり、主にマンハッタンのイーストビレッジとブルックリンのブライトンビーチに集中している。
イーストビレッジのセントマークス地区(東8丁目近辺)は、日本食のレストランや食材店も固まっている地域ではあるが、もとからこの地域は「ウクライナ・ビレッジ」とも「リトル・ウクライナ」とも呼ばれている。その1本南の7丁目には、セント・ジョージ・ウクレニアン・カトリック教会があり、学校も併設している。さらに一本南の6丁目にはウクライナ博物館もある。
また少し北の9丁目の角には、第二次大戦後にウクライナから移ってきて、1954年から営業を続けている「Veselka(べセルカ)」という老舗のウクライナレストランがある。この店は角地にあり、大きなガラス窓で通りからも店内がよく見えるが、今回のロシアによるウクライナ侵攻にあたって、支援の意味も含めてか、連日、昼夜を問わず行列ができている。
また、物資の寄付も募っており、電池、ガーゼ、バンドエイド、下着、おむつ、エナジーバーなど簡易に食べられるもの、缶詰め、ナッツ、クッキー、手袋などが集まっている。
ブルックリンの古い行楽地であるコニーアイランドとボードウォークで繋がる東側の地域がウクライナ人の多く住む前出のブライトンビーチだが、ここは「リトル・オデッサ」と呼ばれる。もちろん黒海に面したウクライナの港町オデッサにちなんだ命名だ。
このあたりは、1970年代以降、旧ソ連のロシアやウクライナからの移民が増え、通りはキリル文字の看板が目に付き、ソーセージ、チーズ、干した魚、魚卵、キャビアなどを売る食料品店が並び、ロシア語、ウクライナ語などが聞こえてくる。
もともとアメリカらしくない異国情緒を感じる地域であり、ニューヨーク市の公用語の1つとしてロシア語も認定されているくらい、アメリカでありながら旧ソ連からの移民も多い。
イーストビレッジとブライトンビーチのどちらの地域にも、いまだにウクライナやロシアに親族を持つ人も多く、なかには両国ともに親戚がいるというような複雑な気持ちを抱えた人たちもいる。
タイムズスクエアでの戦争反対デモの様子(Photo by Tayfun Coskun/Anadolu Agency via Getty Images)