話は伊東の1年時にさかのぼる。神奈川大学の別の選手をマークしていたJ1のヴァンフォーレ甲府のスカウトが、ある試合で途中出場するや対戦相手を大混乱に陥れ、流れを一変させた伊東の群を抜くスピードに目を奪われた。
ボール扱いは雑で、荒削りな部分も目立った。それでもプロレベルを超越するほどの一芸に秀でていた伊東を継続的にチェックし、4年次に満を持してオファー。J2のモンテディオ山形も名乗りをあげた中で、2014年9月に甲府入団が発表された。
ルーキーイヤーだった2015シーズンのJ1では、途中出場がメインながら、フォワードを主戦場として30試合に出場。4ゴールをあげた活躍ぶりから「甲府のスピードスター」とあだ名され、そのオフに引き抜かれる形で柏レイソルへ移籍した。
加入直後は右サイドバックでプレーした伊東は、監督交代を機に現在と同じサイドハーフでプレー。果たして、3年間でリーグ戦を欠場したのはわずか一度だけ。8512分に達したプレー時間はフル出場に対して92.8%を占め、19ゴールをマークした。
最終メンバーには残れなかったものの、この間の2016年にはリオデジャネイロ五輪に臨むU-23代表候補に名を連ね、2017年12月にはヴァイッド・ハリルホジッチ元監督に率いられる日本代表に、2018年9月には森保ジャパンにそれぞれ招集された。
雑草的な存在だったアマチュア時代から、一気にブレイクした伊東のサッカー人生を振り返れば、突出した武器を持つ“個”を組織に組み込むことの価値がわかる。特に柏時代の伊東は周囲に力を引き出され、その武器がチームへ還元される好循環を生み出した。
加速度的な成長とひたむきさ
化学反応を起こすにはもちろん本人の努力や指導者の辛抱も求められるが、それでも甲府のスカウトの慧眼ぶりがあらためて際立ってくる。そして、高いレベルでプレーする日々は、伊東が胸中に秘め続けてきた反骨心を大きく膨らませた。
おっとり型で人見知りする性格の伊東は柏へ加入した当初や代表活動中で、取材対応でもやや言葉足らずのまま終わる場面が多かった。今現在も決して冗舌とは言えないが、それでも目指していく選手像をしっかりと伝えるようになってきた。
「高校や大学の時から、速いだけの選手とは思われたくなかった」
アマチュア時代から抱き続けたその思いは、ベルギー1部のヘンクへ移籍した2019年2月を機にさらに強くなった。確固たる数字を残さなければ生き残れない弱肉強食の世界で、ヨーロッパでも通用する速さに融合させる武器を貪欲に追い求めた。
ヘンクでの3シーズン目となる2020-21シーズン。12ゴール16アシストをマークした伊東は、得点に絡めるサイドアタッカーとして、ヨーロッパでの評価を一気に高めた。
ヨーロッパの中でセカンドグループに位置するベルギーリーグは、上昇志向を抱く選手たちが、活躍を介してステップアップを果たす舞台になってきた。大卒で遅咲きの日本のスピードスターが、ヨーロッパ5大リーグへ挑む機運がいよいよ高まった。
しかし、2020-21シーズンを終えて帰国した昨年5月。森保ジャパンに合流した伊東は、挑戦したいチームを問われると「ないですね」と即答し、さらにこう続けている。
「チャンスがあれば上のリーグでやりたいと思いますけど、ヘンクもいいチームなので」
昨年10月にはヘンクとの契約を2024年6月末まで延長した伊東には、日本円で約13億円の移籍金が設定された。3月9日には29歳になる年齢を踏まえればステップアップをほぼ封印し、ヘンクへの恩返しを込めてベルギーでプレーを続けることが濃厚になった。