ここでいうデザインとは、表層を整え、見た目を飾るという意味だけではない。ビジネスモデルの構築やユーザー体験の設計なども含む、広い意味だ。
ここに着目し、大企業の新規事業・サービス開発に特化したデザインコンサルティングを行なっているのがNEWh(ニュー)である。
NEWhでは、ビジネスの設計を担当する役職をサービスデザイナーと呼ぶ。石塚賢は、NEWhの現役サービスデザイナーであり、執行役員としてもサービスデザインを統括する立場だ。しかし、石塚はもともとデザインの世界に身を置いていたわけではない。
彼は、広告制作会社のデザインエンジニアとしてキャリアをスタート。さまざまな案件に関わるうちに、自身のディレクション適性、さらにはUXをベースとしたサービスデザインの有用性に気づいた。そして、徐々にデザイン領域へとキャリアをシフトさせていったのだ。
今、石塚の考えの根幹にあるのは「共感とシェア」だという。その言葉が意味するところは何か、石塚がどのようなプロセスを経てそこにたどり着いたのか。軌跡を追ってみたい。
エンジニアとしての限界。苦しんで見出した“一筋の光”
石塚が新卒で就職したのは、デジタル手法を駆使し、先進的な広告表現を世に送り出していた広告制作会社、イメージソースだ。
石塚は学生時代、メディアアートやデザイン・コンピューターヒューマンインターフェイスを専攻。彼にとってデジタル表現に長けたイメージソースは、理想的な就職先だった。
しかし、プログラミングやフィジカルコンピューティングのスキルを生かそうと、意気揚々と入社した石塚を待っていたのは、挫折だった。
「イメージソースには、スキルも情熱も高いレベルの人材が集まっていて、入社当初はまったく太刀打ちできませんでした。自分に何ができるだろうと悩みながら、ついていくのに必死だったのを覚えています」
こうした気構えで案件に取り組むうち、石塚は徐々に広告プロダクトのシステム全体の設計やディレクションを任せられるようになる。そこに光明が差した。
「ディレクターの視点で広告を見たときに、その先にいるユーザーをイメージできるようになっていきました。そしてユーザーが何を必要としているのかを考えることに、興味が移っていきました。
デザインエンジニアとしてスキルアップしていくことよりも、企画したり、プロジェクトをまとめたりすることのほうに、自分の適性を感じたのです」
“ユーザーニーズが分かっているのか?” UXデザインへの覚醒
誰かが考えたクリエイティブを具体化するだけのデザインエンジニアという立場ではなく、生活者が求めるソリューションを自ら企画し、自分の手でつくっていきたい。石塚はそれが叶う環境を求め、デジタルエージェンシーのスパイスボックスに移籍する。
タイミングも絶妙だった。当時、スパイスボックスでは、後にNEWhを立ち上げる神谷憲司が社内プロトタイピングラボのWHITEを運営。ここへの配属が決まったのだ。
入社後、石塚はWHITEでプランナーとして、新しい技術を使ってどのような広告表現ができるかを模索していた。ここで、後の彼のキャリアの方向性に大きな影響を与える出来事が起こる。
「当時、さまざまなR&D案件を手がけていましたが、アウトプットを見た神谷から度々、『ターゲットユーザーを定義できているのか?』『ユーザーインサイトがわかっているのか?』という指摘を受けました。
広告の先にユーザーがいることは、認識していたつもりでした。しかし自身がエンジニア出身だったこともあり、技術ベースのシーズ発想からニーズ発想への切り替えが、まだ十分にできていなかったのです」
WHITEはこの後、広告の領域から事業開発の領域へとシフト。プロダクトや事業の価値を広める側から、それらを創り出す側へと立ち位置を変え、会社化する。石塚も創業に参加し、自社事業の開発チームリーダーを務めた。
「神谷の指摘以降、ユーザーインサイトをより意識するようにはなりましたが、今と比べると当時は、まだまだ自分の頭の中にある主観的なユーザー像をベースにプラニングしていました。しかし、そうして生み出したプロダクトは結局、ほとんどが世の中に受け入れられません。
いくつかの案件でトライ&エラーを繰り返すうち、ビジネスを成功させるにはユーザーの理解と共感が重要だと気づきました。ユーザーをしっかりと分析・理解したうえで、ユーザーとビジネスサイドの双方から共感を得られる事業開発が求められているのだと。
そして、それができるのがUX(ユーザー体験)デザインのアプローチであるという答えにたどり着きました」
一人には限界がある。気づいた“チームの大切さ”。変化した視座
石塚は、自らのUXスキルを磨くためにあえてWHITEを離れ、UXデザインをベースに企業の事業開発を支援していたTigerspike(現:Concentrix Catalyst)への転職を決めた。
UXデザインの有効性を信じていた石塚は、Tigerspikeで乾いた大地が水を吸収するように、UXをベースとした事業創出のノウハウを身に付けていく。
「ユーザーリサーチから解決策の立案、情報設計まで、UXデザインにはさまざまなフェーズがあります。Tigerspikeのハイレベルなプレイヤーと一緒に仕事をすることで、フェーズごとにより効率的で緻密な設計の仕方があることを知りました。
実践的な学びの中で積んだ多くの経験は、現在の業務に取り組むうえでの基礎になっています」
さらに石塚が大きな財産になったと語るのが、チームの重要性に気づいたことだ。これは、Tigerspikeの社風によるところも大きかったと、石塚は語る。
「Tigerspikeが組織戦略として重視していたのは、カルチャーの醸成です。社内でカルチャーが醸成され、それを共有できれば、メンバーの関係性の質も向上する。それが、成果に結びつくという考え方ですね。
製品やサービスの土壌となるカルチャーや、メンバーが目指すべきビジョンを明確にすること。それが、大企業の新規事業創出をするうえで効果的であることを、目の当たりにしました。それまでは、特定メンバーのスキルが高ければ良い成果が出ると、まったく逆のスタンスで考えていたので、目から鱗が落ちる思いでした」
石塚のなかで、人とのつながりが好結果を生むという実感は、ビジネスだけにとどまらなかった。人と人との関係性は、広げていけば社会のあり方にまで行き着く。
石塚のUXデザイナーとしてのビジョンに、社会のエコシステムを考えたいという新たな視点が加わった瞬間だった。
デザイナーと執行役員、求められるのは同じ“インタビュー力と共感力”
石塚が社会に目を向けていたとき、たまたま大企業の新規事業支援を通して社会実装を推進するというコンセプトで、NEWhの創業準備を進めていた男がいた。WHITE時代、石塚にユーザーニーズの重要性を気づかせた神谷憲司だ。
「大企業の事業は多くの人が利用するという意味で、社会インフラと捉えることができるのでは、と考えていました。ここを良くすることが、社会を良くすることにつながると思いますし、事業を社会実装するのは、社会のエコシステムを改善する重要なポイントだと思いました。そういう点で、NEWhの創業コンセプトは共感できるものだったんです」
何もない状態から自社の仕組みやサービスをつくれるという創業の面白さにも惹かれ、石塚はNEWh設立に参加する。
石塚の役職は、執行役員兼任のサービスデザイナーだった。NEWhのサービスデザイナーは、ユーザーの視点はもちろん、利益や事業の持続性といったビジネス側の要件も満たしながら事業をデザインする。ユーザーも事業オーナーも幸せにするという点で、まさに石塚が描くビジョンに合致していた。
執行役員としては、創業時にサービスデザインのプロセス整理や人材定義をしたほか、NEWhの事業スタイルの基本的な枠組みを構築。ビジネス要件の整理も含め、UXデザインを軸とするビジネスのさまざまなフェーズに関わってきた経験が生かされた形だ。
しかし石塚にとって、経営陣に名を連ねるのはこれが初めて。現場と経営を兼ねることへの不安はなかったのだろうか。
「むしろやりたいと思っていました。デザイナーには、ユーザーやビジネスサイドから本質的な課題や期待の声を引き出すリサーチスキルと、得られたファクトからステークホルダーが共感できる体験やコンセプトを創出するスキルが必須です。
そういう意味では経営の仕事でも、デザイナーとして培ったスキルや考え方が活用できると思いました」
最後に、石塚自身のマイミッションについて聞いた。すると、返ってきたのが冒頭の「共感とシェア」という言葉だ。
「共感」を挙げた理由については、UXデザインやNEWhでの話からもうかがい知ることができるが、「シェア」をセットにしているのはなぜだろうか。
「巡り巡って自分のためにもなるし、世の中が暮らしやすくなることにもつながると思うからです。自分の考え方や成果をシェアすることは、それが多くの人の目に触れるということ。つまり、自分では気づけなかった視点で、既存の成果がアップデートされる可能性が高まることを意味します。
もちろんこれまでも、一緒に働くメンバーやクライアントに対するシェアはしてきました。でも、これからはもう少し範囲を広げて、地域や社会といったところにまで自分の経験や知見をシェアするための情報を発信していきたいと考えています」
石塚は、もともと共感力が強くないと自分を分析する。しかし、だからこそひとたびチームの重要性に気づくと、それを足掛かりに組織づくりや社会のエコシステムといった視点にまで広げ、「共感とシェア」というマイミッションを見出した。
事業創出を通して、社会へと思いを馳せる石塚。自らの考えやNEWhをはじめとするさまざまなステージで得てきた経験、ノウハウをもとに、今後どのようなメッセージを発していくのだろうか。