アパレル不況でも前年比プラス3億円。「シンゾーン」成長の秘密

(左から)シトウレイ、シンゾーンの染谷裕之

アパレル不況が叫ばれるコロナ禍で、年々業績を上げているブランドがある。“デニムに合う上品なカジュアル”をテーマに、オリジナルやセレクト商品を販売する Shinzone(シンゾーン)だ。

シンゾーンは2001年3月、染谷裕之が息子の真太郎とともに創業。東京・表参道に一号店を構え、逆境を乗り越えながら成長してきた。現在は東京に3店舗、北海道に1店舗を展開している。

コロナ禍でEC・店舗ともに好調となり、2021年7月期決算が15億5000万円と前年比プラス3億円をマークし、今期は18億円まで伸びる見通しとなっている。

なぜ今シンゾーンが、多くの顧客に評価されているのか。創業者の染谷に、シトウレイがインタビュー。前編では、シンゾーンの創業ストーリーと成長過程を紐解く。

(後編はこちら

本当にいい商品なら、自分のお店で売ればいい


シトウ:染谷さんは20年ほど前にシンゾーンを創業されましたね。どのような経緯だったのですか。

染谷:大学卒業後の22歳から、アパレル業界を渡り歩いてきました。自分でブランドを立ち上げることは漠然とした夢だったのですが、36歳の時に転機が訪れて、思い切って自宅を事務所にしてOEMを始めることにしました。

並行してオリジナルのブランドで商品を作るようになり「やっぱりお店を持たなければダメだな」と思うようになりました。お客さまと直に接することが大事だと、痛烈に感じたんです。



シトウ:どうして“対お客さん”が重要だと思ったんですか?

染谷:当時、オリジナルのプロダクトは展示会を開いて注文をとっていたんですけど、買い付けるかどうかを決めるのは相手ですよね。自分がどんなに頑張っても、響かないこともある。そこに違和感を感じていたんです。

本当に自分がいいと思う商品なんだったら、自分のお店で売ればいいじゃないか。そういう思いが募ってきた。「他力から自力へ」という感じですね。

そのタイミングで、当時二十歳だった息子の真太郎が、留学先のロンドンから帰ってきました。すごくおしゃれになった彼を見て、コイツと一緒にお店ができるなと思ったんです。そこで、2000年3月に一号店をオープンしました。

シトウ:息子さんを表に出すという形でしたよね。

染谷:そうです。でも若くて経験もないし、けっこう無謀なことだったと思います。レディースをメインとしたセレクトショップなのに、彼は男性ですしね。でも、結果的にそういった型破りなところが、時代にもうまくマッチしたようです。

シトウ:たしかに、たしかに。「経験ゼロなのに」「女の子じゃないのに」といったいろんなギャップが、注目を集めるきっかけになりましたよね。

染谷:そうですね。あとは、バレンシアガを日本で一番多く扱うセレクトショップとしても、注目を集めました。真太郎がバレンシアガをメインでやりたいということで、店づくりに反映しました。当時は店頭で扱う商品の4割がバレンシアガでしたね。

バッグはあのころから人気がありました。それでおしゃれな方から少しずつ認知されるようになったんです。
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聞き手=シトウレイ 構成=田中友梨 撮影=杉能信介

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