アンラーンは「全てを捨て去る」ことではない
成功体験やこれまでの積み重ねとアンラーンの関係についても、きちんと言及されていた。
「アン(un)がついているけど、これまでの学びや経験を全部捨て去れ! ということではないんです」(柳川氏)
……よかった。少し、安心。
でも、そうなるとアンラーンすべきは何なのか。それを自分で発見するには、どうすればいいのか。それが明確にならないと、アンラーンしたくてもどうすればいいのかがわからない。
ここで、またもやイラストがイメージを助けてくれた。一つ目に描かれている1本の樹木は、とても大きく育ってはいるが、伸び放題で手入れされずに放置されている。これが、今の自分。
"培ってきた学び・経験…… 手入れせず「放置」していませんか?"(55Pより・イラスト=Satoshi Kurosaki)
アンラーンはこの樹木を倒して別の樹木を育て直そうという話ではない。これまでの経験や学びの積み重ねによってできあがった「今」の樹木の全体像を捉え直して、さらなる成長に向かって「剪定」をするということ。つまり、根幹は変えなくていい。学んできたことをすべて捨て去る必要もない。残したい枝や葉っぱは残せばいい。ただ、「余計なもの」は思い切って切り落としてみる。
知らない間に抱え込んでしまった「あれも」「これも」を、過去の成功体験に引きずられることなく、未来の可能性に向かって整理していく。その作業が行われた後の二つ目の樹木のイラストには、確かにずいぶん広々とした「伸びしろ」が感じられる。視界も良好。なるほど、これがアンラーンの極意らしい。
"「アンラーン」で生まれる「新たな伸びしろ」"(57Pより・イラスト=Satoshi Kurosaki)
アンラーンが「伸びしろ」をつくってくれる
ここまできて、本書の副題「人生100年時代の新しい学び」の意味が腑に落ちた。いくつになっても「伸びしろ」のある人生の方が、楽しいに決まっている。伸びしろは、大きいほどワクワクする。しかも、伸びしろという余白は、変化のときにその機能を発揮してくれる。
世の中は常に変化していく。新型コロナウィルスのような世界中を激変させるような大きな変化はそう何度もあるものではないだろうが、一人ひとりの人生においても変化のタイミングはくり返し訪れる。
変化が起こったときに、変わってしまったこと、それによって失ってしまったことだけに気をとられていると、新しい世界はストレスでいっぱいになり成長は止まってしまうだろう。それよりも、普段からたっぷりの成長の「伸びしろ」をつくって、いつどんな変化がやってきても自由自在に形を組み替えて対応できるような態勢を整えておきたい。それを可能にしてくれるのが、「アンラーン」の習慣だ。
本書では、アンラーンを実践する方法やアンラーンを阻む壁の乗り越え方なども丁寧に解説されている。章ごとに挿入されている対談ページでは共著者二人の生の言葉で語られるアンラーンをめぐる楽しくてわかりやすいやりとりを読むこともできる。
「日本の本質的な課題はすべて、アンラーンによって解決していけるんじゃないか」と、為末さん。それと同時に「個人として、よりハッピーに生きるためにも、ぜひアンラーンを」という柳川さん。お二人の言葉や佇まいに感じる懐の深さや開放的な明るさ、そして、温かさ。それらはきっと「アンラーン」の賜物なのだ。
『Unlearn(アンラーン)人生100年時代の新しい「学び」』(柳川範之・為末大 共著、日経BP刊)