無形文化遺産保護条約は、2003年のユネスコ総大会で採択されました。文化遺産といえば、歴史の教科書に載っている遺跡や建物のような有形のものだけだったのが、これを機に、伝統的な音楽・舞踊・演劇・工芸技術といった無形のものも対象になりました。
加わった無形文化財一つに、「自然及び万物に関する知識及び慣習」があります。文化の多様性や人類の創造性との観点から、自然に関する知識や慣習が保護の対象になったのです。つまり、漁民や農民、あるいは遊牧民が自分たちの生活や仕事をうまく運ぶべく、雲の動きや風の匂いから「自然の次の一手」を読み取るノウハウも文化遺産であると見なされたわけです。
民衆から“離れた”宇宙を取り戻す
当然ながら、天体の動きに対する知識や慣習も対象になります。いろいろな地域の人たちが太陽や月と語り合い、航海にあたり船員が星の動きを頼りにするのは良く知られています。四季の変化も星座で確認できます。
しかし、近代科学や技術発展に自信を抱いた人類は、ともすると素人、つまりは科学的な訓練を受けていない人の天体に関する知識を軽視するようになります。詩人や音楽家の創作のテーマになるのは良しとしても、「天体の理解は俺たちに任せるべきだ」と(「宇宙談義は男性のもの」みたいな感じがあったのでしょうね、その昔は)。
このように近代科学が民衆から天体を遠ざける一方、1865年、フランスの作家、ジュール・ヴェルヌは、小説『月世界旅行』で宇宙へのロマンを語るのでした。それから1世紀を経て、1950年代に米国の雑誌やディズニーの映画によって人々と天体の接近が試みられます。1960年代に入ると、アポロ計画のおかげで、人々は一気に「宇宙に手が届く」かのような感覚をもつようになります。
地球に戻ったのち、会見に応じたルイス・アームスロトング船長(Getty Images)
1969年、人類で初めて月面に着陸したアポロ11号のアームストロング船長は、世界の視聴者が注目するなか、ジュール・ヴェルヌの夢が果たされたと語りました。ここで気づくと思いますが、宇宙開発は「技術的な可能性がみえてきたから、これで何をやってみようか?」と始まったのではないのです。