そのようななかにあって4年という短期間で黒字化を果たし、先駆的な存在として37ある重点支援DMOのひとつにも選ばれている企業がある。それが大田原ツーリズムだ。拠点を置く栃木県北東部の大田原市は、市の中央を那珂川の清流が縦断し、豊かな自然を生かした農業が盛んな地。DMOを率いるのは代表取締役を務める藤井大介である。実は藤井は大学の専攻が航空宇宙工学で、修士号は米国の名門テキサス大学で取得したという理系の知性派。大田原ツーリズムの代表を引き受けることになった背景を、こう語る。
「米国在住の際、大学院のあったテキサスのオースティンをはじめ、ポートランドやシアトルなどの地方で産業集積が起き、活況を呈している状況を目の当たりにして、いつか日本でも地域振興の事業を手がけたいという思いをもちました。そこで帰国後、メーカー勤務を経て地域づくりのコンサルティング会社を起業。そのなかで大田原市から農業体験による地域おこしの相談を受け、事業プランを提案したところ、プロジェクト推進を担う官民合弁の法人として12年、大田原ツーリズムを設立することになり、そのまま私が代表になりました」
教育旅行としての農泊
藤井が徹底したリサーチを行い、導き出したそのグリーン・ツーリズムの事業プランは、主に中学校・高校を対象に、すでに一部で行われていた教育旅行を想定した農家民泊(農泊)を核としていた。これは農業が盛んな地元の特性を生かしつつ、収益性を鑑みて「一度にある程度の客数が見込める団体をターゲットにして、長期滞在をしてもらおう」という目論見である。
中学校・高校を対象にした教育旅行・農業体験
しかし当時は、農泊自体がまったく知られておらず、もちろん受け入れる農家は1軒もなかった。そこで、まず手をつける必要があったのが、協力農家の開拓である。最初は拒絶反応も多かったという。
藤井いわく「農家の方ばかりでなく、周囲の反応も『こんな田舎にお客が来るはずがない』『人を泊めるなんて面倒だ』といった意見が大半でした。しかし都会の子どもたちにとって豊かな自然は憧れであり、農作業も心躍るアクティビティです。農泊は地域の未来に必ずメリットになるとの信念があったため、当初は1軒1軒を回り、重ねて説明。地道に信頼関係を築き、少しずつ実績をつくることで、賛同する農家を増やしていきました。また、利益の面でも満足を得てもらえるように、報酬も1回10万円に近づくようプログラムの内容と料金を設定。支払いも農家の方の受け入れ終了直後に手渡しで行うなど、より実感の伴うものになるよう配慮しました」
その甲斐あって、現在は大田原市周辺を含めて協力農家は約180軒にまで拡大。さらには「子どもたちとの別れが惜しい」「農作業を手伝ってくれたことで実際に助かっている」といったうれしい声も数多く聞かれるまでになった。
故郷に対する誇りを
国内の教育旅行としての農業体験や農泊に手応えを感じた藤井は、次に急増していたインバウンドの招致へと動く。これは事業拡大の意図と同時に、何より「地域の方々に故郷や自分たち自身に対して、もっと自信や誇りを感じてもらいたかったのです」と、もうひとつの狙いを明かした。
農泊を体験中の訪日観光客
「『農泊の宿泊客に振る舞うのは、手づくりの普段飯よりお寿司がいいのでは』『夜に散歩するだけで何が楽しいのだろう』、そんなふうに思う人がまだ多かったのです。そこで芋の煮っころがしのおいしさや、夜の散歩で眺める星の美しさについて、いっそ文化の異なる外国人たちが喜ぶ姿を農家の方に見てもらおう。そうすればその価値に気づき、自分たちの日々の暮らしにプライドをもってもらえるのでは、と考えました」
そのために、インバウンドのターゲットを、まずは台湾に絞った。台湾はとりわけ親日的であり、「台湾からのお客様なら必ず好反応が得られるだろう」という確信が、藤井にはあったのだ。そして何より単に客数を増やすのではなく、「この地域にマッチした、より地域の方々が楽しめ、農家のモチベーションも上がるお客様に来ていただきたい」という思いが強かった。
そこで、台湾に赴きプロモーションを敢行すると、その結果がじわじわと出始める。現地から少しずつ子どもたちが大田原を訪れ、皆一様に日本の農村生活を満喫し、喜んで帰国していったのだ。そしてそれを契機に、主にクチコミと継続したプロモーション活動のおかげで、大田原ツーリズムの取り組みは広く知られるようになり、訪日客もマレーシア、フィリピンから韓国、中国、ひいては北米にまで拡大。コロナ禍前の19年には、年間交流人数9000人/5000泊のうち、インバウンド客は約2割に達するようになった。
すると地元の人々の意識もガラッと変わった。驚いたことに、初めは日本人の受け入れにも難色を見せていた農家のなかから、「日本人よりも外国人を受け入れたい」という要望が出てきたのである。そして、各農家が日頃の食事や生活、環境、あるいは地域の文化や自然の豊かさなどに目を向け始めるとともに、外国人に対する抵抗感もすっかりなくなっていた。海外に興味もなかった農家のご夫婦が、初めは大田原ツーリズムがコーディネートした団体旅行で、そして翌年からは個人で台湾などの海外へ旅行に出かけたり、別の方は受け入れた子どもの結婚式に出席するためブータンを訪れたり。そのような海外との交流も盛んになった。
こうした実績の裏には、大田原ツーリズムの日々の努力の積み重ねがあった。インバウンドの受け入れ農家向けに、アレルギー情報の共有や宗教、ハラル料理、国別の文化に関する勉強会などを積極的に実施。さまざまな機会を通じてインバウンドへの理解は深まり、農泊を行っている農家同士の横のつながりが強くなるとともに、サービスも向上していった。
世界基準を目指したい
宿泊施設として再生された有形文化財・飯塚邸
内外からの体験旅行を中心にした受け入れで、地域観光づくりにある程度成功した大田原ツーリズム。次に藤井は、その変化を確実なものとし、さらなる地域のブランド化を目指すために、いよいよ個人客を呼び込むことを決意する。
「観光で、世界で勝負できる農村を目指す」
ついては、農家民泊(アグリツーリズモ)で最も成功した例として知られるイタリアに着目。約5年前から2年間にわたり、トスカーナ地方などのアグリツーリズモに赴き、視察とともに毎年10軒以上のオーナーに、建物の改修方法、運営方法、プロモーション、客動線など、経営者としての泥くさいヒアリングを重ねた。そしてその結果をまとめるなかで、見えてきたことがある。
「それが“滞在型観光”という旅のスタイルです」
日本の観光旅行といえば通常、旅の目的地に合わせて宿泊場所も移動するルート観光が一般的。一方、欧州の人々は1週間単位の長期のバケーションという考え方から、滞在拠点を1カ所に定め、そこから各地に観光へ出かけることが多かった。その際の移動手段は基本的に車。滞在拠点を中心に車で移動し、自分たちの訪れたい目的地へ日帰り旅行に出かけるのだ。こうした客の動線を発見できたこともがとても大きかったという。
「そうなると宿泊場所が観光地にある必要性はまったくありません。より広域にとらえ観光エリアにあれば十分で、それよりもキッチンとリビングが付いて十分な広さがあり、家族単位で過ごせる部屋数が求められます。長期滞在でも快適でストレスを感じない、いわゆるアパートメントスタイルの宿泊施設です」
とはいえ従来の農泊の協力農家に、いきなり個人客向けの滞在拠点となり得る設備投資を期待するのは無理がある。ならば自分たちで地域ブランドも構築できる施設を設け、手本となるべく自ら宿泊業を営もうと考えた。それが19年、大田原市に隣接する那珂川町にオープンさせた有形文化財ホテル飯塚邸である。
リノベーションされた飯塚邸のベッドルーム
藤井によると「建物は江戸時代に大庄屋を務めた飯塚家によって建てられた、国登録有形文化財です。那珂川に寄贈されたものを借り受け、独自に資金調達し、ホテルとして再生させました」という。飯塚邸を訪ねてみると、広い敷地内に本宅と新宅、そしてふたつの土蔵が建ち、そこに広さや趣が少しずつ異なる全6室の客室を用意。建物の外観や柱・梁など資材は200年前の当時のままながら、内部はモダンに機能的にリノベーションが施されている。
一方、全室に共通するのが、調理器具やテーブルウェアを備えたキッチンとリビングスペースを設けていること。ホテル内に飲食用の施設をもたないため、宿泊客はホテルが案内する街の食事処に出向いたり、ケータリングを利用したり、あるいは豊かな地元食材を使って自炊することも可能だ。いずれにせよ、長期滞在をしてもストレスフリーな、温かく快適な空間がそこにあった。
館内を案内してくれた河西美津子マネージャーによると、昨年末から年始にかけて飯塚邸に一家で滞在し、日本のお正月を満喫した東南アジアからの訪問客もいたのだとか。ここ那珂川町では、田舎のライフスタイルに溶け込み、楽しむという新しい滞在型の旅のスタイルが、確実に根付き始めているようである。
BOSへの挑戦
那須川町馬頭広重美術館の裏庭を会場にした着席式の屋外食事会
現在、大田原ツーリズムが取り組む地域観光づくりにおいて、さらに力を入れ始めたのが、地域の歴史的建造物などを活用してプレミアム感を演出する「ユニーク・ベニュー」というアイデアだ。自分たちが得意とする多彩な体験プログラムを提供するエクスカーションと、地域の貴重な場所で行うオリジナルのパーティなどのユニーク・ベニューをパッケージ。それを“Bato Ongoing Story”(BOS)と名付け、特別な体験を求める企業や個人に向けて新たな付加価値の創出を図っている。
その象徴的な取り組みが、飯塚邸から徒歩数分に建つ那須川町馬頭広重美術館のMICEへの利活用である。この美術館は、歌川広重の肉筆画と版画を中心とする、青木藤作の貴重なコレクションを収蔵。さらに日本を代表する建築家の隈研吾が設計した建物も落ち着いた趣で大変魅力的だ。しかしながら同美術館はこれまでは、無償のCM撮影等の提供のみで、特にブランド化やマネタイズのために外部に場所を貸し出すなどは行ってこなかった。大田原ツーリズムは、馬頭広重美術館をユニーク・ベニューに組み込むことで、地域のさらなるブランディングを計画したのだ。
22年1月、大田原ツーリズム主催のトライアル企画として、美術館の裏庭を会場にした屋外での着席式の食事会が催された。建物の空間を彩るルーバーが、刻々と移りゆく光に多様な表情を与える夕暮れ時に会はスタート。周囲が徐々に暗くなり、テーブルに並んだLED照明が幻想的なムードを演出するなか、地元産の極上素材を使った郷土料理を堪能するという、記憶に残る一夜となった。今後はプライベートなガーデンパーティや結婚式といったプランも検討しているという。
そしてもうひとつ、地域ブランディングの試みとして、大田原ツーリズムは集客性のあるイベントもつくり出した。それが、昨年から冬季に2年連続で開催した「那珂川 光のイベント」だ。飯塚邸前の昭和レトロな面影が残る約500mの商店街をメイン会場に、町内随所に和をモチーフにした光のアートを1カ月にわたって配置。「光」と「和」を融合した新世代のイルミネーションイベントで、昨年のイベントの始まりと終わりには、それぞれ100個と300個のランタンも打ち上げた。最寄りの新幹線駅から1時間かかる田舎の小さな集落にもかかわらず、昨年のクローズイベントでは、徹底した感染対策の下、商店街の道路には3000人もの見物客が集合。極寒の夜空に舞うスカイランタンのスペクタクルな光景はSNSで広く拡散され話題となった(その後、1カ月は那珂川町ではコロナ感染者ゼロが続いた)。
「那珂川 光のイベント」
グリーン・ツーリズムを超えて
次々と新機軸の観光施策を打ち出し、実行し、地域観光を牽引してきた大田原ツーリズム。最後に藤井社長に、その挑戦の原動力ともいえる未来に向けたビジョンについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「私は本来、研究者で起業家。既存の常識を疑い、自分の手で検証して、新しい価値を生み出したいという思いが根底にあります。だから何もないと思われて元気を失った日本の地方を、『農』という切り口で蘇らせたい。ただそれだけです。多くの人を感動させるアウトプットを創出することを目標に、今後はさらに地域ブランディングを進めたり、個人旅行にも対応可能な長期滞在型のアグリツーリズモを展開していく予定です。これからも大田原ツーリズムで地域を深掘りしながら、成功例を重ねていきたい。ここで行われている数々の事例が、ほかの地域の農村にも参考となって、全国に広がっていくとうれしいですね」
大田原市や那珂川町のように“日本のどこにでもあるようで、実はどこにもない“、そんな地域特有の魅力を再発見し、磨き上げていく。そんな“うねり”が眠っていた日本の地方を次々と目覚めさせ、活性化していく日はそう遠くないに違いない。
藤井大介 大田原ツーリズム 代表取締役社長
大田原ツーリズム
大田原での農家民泊
藤井 大介◎1975年埼玉県生まれ。防衛大学校卒業後、2002年にThe University of Texas at Austinで航空宇宙工学修士取得。帰国後自動車メーカーを経て、09年に農業と地域経済の活性化を目指すファーム・アンド・ファーム・カンパニーを設立。12年に大田原ツーリズム代表取締役社長に就任。