ビジネス

2022.02.12

時代の変わり目を読み切って完全復活したマイケル・デル

デル・テクノロジーズ マイケル・デル会長 / Getty Images

時価総額1兆ドル企業が次々と生まれているテクノロジー企業は、ウォール街にとっても魅力的であり、伝統金融は有望な企業に触手を伸ばし始めている。だが、それにより軋轢が生じているのも事実。企業が掲げる戦略と、顧客の利益の最大化を図る金融企業との間で利害の衝突が起きているのである。

ここでは、伝統金融の手法も取り込みつつ、自社のビジネスモデルを進化させて復活を遂げたマイケル・デルによる、ウォール街顔負けのM&A(合併・吸収)戦略を紹介したい。


パーソナルコンピュータのパイオニアであるマイケル・デルは、テキサス州オースティンにある自身の慈善団体の本部にいた。この日の朝、同じ州内でアマゾン創業者のジェフ・ベゾスが、自身が設立したブルーオリジンのスペースシャトルに乗って宇宙へと飛び立ったことは彼も知っていた。

「私は地球を離れなくても十分満足です」

デルは肩をすくめ、クスリと笑う。その前の週にはリチャード・ブランソンが、ビリオネアの宇宙競争の口火を切っていた。そこに革新性や野心を見いだす者もいたが、エゴや傲慢さを見いだす者もいた。ちなみにデルが見いだしたのは、商機だ。

「我々は新興の宇宙企業に製品をたくさん販売しています。ああいう事業は、途方もない計算能力、データ、人工知能(AI)抜きには語れませんから」

デルはこの10年ほど、公の場では沈黙してきたが、ビジネスで考えを物語ってきた。大手未公開株投資会社KKRの共同創業者でLBO(レバレッジド・バイアウト)の先駆者であるジョージ・ロバーツは、デルが仕掛けた過去の取引に舌を巻く。

「いい時に自分の会社を買い戻しましたね。後から考えると、かなり完璧なタイミングに見えます」

56歳のデルは、テック産業を築いた最後の現役経営者だ。コンピュータ時代の初代の創業者のうち、いまも自ら当初の事業を運営しているのは彼だけである。ライバルであるテックビリオネアたちは、ビル・ゲイツにしろ、ラリー・エリソンにしろ、スティーブ・バルマーにしろ、慈善活動やハワイの島、NBAチームなど、すでに事業の成功によって手に入れた自慢の資産の運営のほうにシフトしている。

デルは今後、2つの別々の上場企業のかじを取ることになる。自身が起こしたパソコンとITインフラ大手のデル・テクノロジーズと、そこから分社したクラウドコンピューティングの主要インフラ企業VMware(ヴイエムウェア)の2社だ。

「みんなアマゾンやマイクロソフト、グーグルばかりに注目していますが……」

セールスフォース・ドットコムの創業者で、デルの友人でもあるマーク・ベニオフは言う。

「デル社が企業向けテクノロジー分野で市場シェアを蓄積してきたことに気づいていないのです」

コンピュータ時代の第1世代


パソコンの勃興期において、マイケル・デルほど輝かしい立役者となった起業家は少ない。テキサス大学の寮の部屋で1984年にデル社を設立し、何百万人もの米国人にとっての1台目のパソコンを提供した。当時のスローガンは「より速い、より優れた、より安価な製品を」だった。

最初のビジネスは13歳で始めた切手のオークション販売で、多額の起業コストをかけることなく2000ドル(約40万円)もの大金を稼ぎ、矯正歯科医の父親と株式仲買人の母親を驚かせた。10代のころはさらに新聞販売で稼ぎ、16歳のときにはすでにアップルIIが買えるほどの預金があった。買ったマシンは構造を調べるために分解したという。
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文=アントン・ガラ 翻訳=木村理恵 編集=森裕子

この記事は 「Forbes JAPAN No.089 2022年1月号(2021/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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