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2022.02.04 11:00

元エースたちの決断──効率性とスピードを武器に、若きM&Aアドバイザーたちは駆け上がる

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「転職するつもりはなかったんです」

話を聞いた2人の主人公は、同じ言葉を口にした。

「前職の会社に骨をうずめるつもりでいました。その道のプロになろうと考えていたんです」と語るのは、現在M&A総合研究所で、2021年度前期の成約件数トップの成績を持つ田中稚拓(たなかちひろ)。前職の大手証券会社では、証券営業に6年間従事し、マネジメントにも携わってきた人物だ。

一方で、大手不動産会社出身で年間販売棟数歴代1位の記録を持つ庭田草志(にわたそうし)は、「仕事はキツかったけれど、毎日充実していて楽しくて仕方がなかった」と前職での日々に思いを馳せた。

転職する気がなかった2人。しかし今、彼らはテクノロジーの活用でスピーディーな最適企業マッチングを実現するM&A仲介企業、M&A総合研究所で共に働く者同士になった。

なぜ2人は転職という道を選び、M&A総合研究所にやってきたのか。そこにはどのようなきっかけや目的があったのか。ここから2人の転職ストーリーを紐解いていきたい。

テレアポにビラ配り......がむしゃらに、そして確かに実績を残してきた2人


庭田より1年ほど早くM&A総合研究所に転職してきた田中は、新卒で入社した大手証券会社でリテール営業に従事していた。彼に課せられたのは、リストに記載された番号に片っ端から電話をするテレアポと、高級住宅街のインターフォンを押して回ること。

約2年間、田中はこの泥臭い営業を続けた。同期が次々と泣き言や愚痴を並べるようになっても、田中は「これが仕事なのだ」と弱音を吐くことはなかった。

その頃のモチベーションは「メンターとして自分に付いてくれたエースの先輩に認められるようになること」だった。脇目も振らず営業に打ち込んだ結果、3年目には課の数字の一角を担うまでに成長。やがてマネージャーも任され、先輩にも会社にも認められる存在となった田中は、充実感に満ちていた。

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田中稚拓 1990年生まれ みずほ証券出身

一方、大手不動産会社に新卒入社した庭田も、街に出てビラ配りをする日々を送っていた。同期は半年で卒業するビラ配りを、庭田は1年間続けた。その理由は、新規顧客獲得数が足りなかったこと。

そして、ビラ配りは無限に声を掛けられるチャンスだと気付いたことだった。「待つより出向くのが自分流」と語る庭田。その言葉通り、ビラ配りで得た顧客と、そこで得た膨大な対応ノウハウを武器に、2年目から頭角を現すようになる。

週末が営業チャンスの不動産業は、休みも取りづらく、繁忙期には早朝から深夜まで働き詰めだったこともあるという。そんな中でも庭田は、士気を高め合えるメンバーと共に、目標達成を目指してひた走った。

学生時代から野球に打ち込んできたという庭田には、この「キツイけど楽しい」環境が居心地が良かったのだという。彼の言う「キツイ」は「つらい」と同義ではない。「充実感を伴う厳しさ」のようなものなのだ。やがて庭田は年間販売棟数85件の歴代最高棟数を達成。入社3年目で最年少店長に就任した。

大手企業にはびこる古き悪習と、成長の上限への抗い


前職でスキルと実績を得た田中と庭田。やりがい十分だった2人が転職を考えるようになった要因は、「自分の成果が正当に評価されないこと」と「物足りなさ」だった。

田中の心は揺れた。実績を出していない同僚が上司との相性の良さからプラス評価。一方、田中は結果を残したにもかかわらずマイナス評価に。入社6年目、周囲を見渡すと憧れの先輩も、他の中堅エース達もいなくなっていた。29歳の田中は「ここは、本当に俺がいるべき場所なのか」と何度も自問した。

「見たこともない評価に、会社への忠誠心が途絶えたんです。大企業だからこそ年功序列の文化が染み付いていて、全員に利益を分配しようとする企業体質だった。もっと成果に応じて評価してくれる場所に行きたいと思うようになりました」(田中)

一方で庭田は、また別の思いを所属していた会社に持ち始めていた。もっと成長したいという意欲があった、ただ、ここでは実現できないのではと考えるようになったのだ。

「今後も成績を上げていけば、地域を統括する部長クラスに昇格できるはず。ただ、営業だけし続けるキャリアはどうなんだろう、と。そこに、物足りなさを感じるようになって。個人ではなく法人を相手に提案したり、経営者と折衝したり、自らの総合的なビジネススキルをもっと磨きたいと思いました」(庭田)

自分の欲求を満たしてくれる場所はないか。理想のフィールドを探し求めていた2人がたどり着いたのがM&A総合研究所だった。

エースたちを惹きつけた「効率性」、そして「スピード」


最初の面接で社長の佐上峻作氏と会い、ここに入社したいと直感したという田中は、その理由をこう語った。

「面談の際、佐上は業界のことやM&A総合研究所の現状と未来について、真摯に語ってくれました。まずは、その姿勢に好感を持ちましたね。さらにHPで謳っていた、業務の効率化は想像を超えるレベルで、無駄のない組織づくりが徹底されていたことも印象的でした。信頼できる、嘘のない企業。ここでなら、と感じたんです」(田中)

量をこなすことで成果を上げてきた庭田にとっても、M&A総合研究所の徹底した業務の効率化は魅力的だった。

「無駄な仕事を一切しなくて良いからこそ、量をこなし、経験を積むことができる。全くの異業種からの転職となる私にとって、自分のスタイルを変えずに成長が望めるM&A総合研究所の環境は、とても心強いものでした」(庭田)

そんな庭田は、入社前のM&A総合研究所について「ベンチャーなのに落ち着いている企業」だと感じていたという。それは効率化の徹底と、より働きやすい環境を柔軟に作っていく文化があったからなのだと入社後に納得することになった。

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庭田草志 1994年生まれ オープンハウス出身

ここ2年で、社員数が4倍に急成長を遂げたM&A総合研究所。この急成長に合わせて組織を構築していくのは、並大抵の柔軟性では成し得ないことだ。しかもM&A総合研究所は、ただ成長するだけではなく、変化に合わせてスケールアップさせていく。

「有言実行にとどまらず、それ以上のスケールで事を成し遂げていくのがM&A総合研究所。それを間近に見ていると、自分の選択に間違いはなかったと思えるんです」(田中)

5年後の姿は、まだ想像できない。ただ自信を持って、成長していると胸を張れる


M&A総合研究所の中で今後どうなっていきたいかと聞くと、庭田は「3年後までに5,000万円稼ぐM&Aアドバイザーになり、さらに1億円プレイヤーとなって、M&Aのことは庭田に聞け、と言われるほどの実力を付けていきたい」と語った。

その言葉をほほえましい表情で聞いていた田中は、後輩の猛追を受け止めつつ、自身も成約件数トップを取り続けたいと、言葉に力を込めた。

その一方で、5年後、10年後の姿は、まだ明確には想像できないのだと田中は言う。

「M&Aの市場は動きが活発で、まさに変動の渦中にあります。5年後には、全く違う世界が見えているかもしれない。その中で社長の佐上が語るように、M&A総合研究所がファンド的役割を担うようなっているのであれば、企業の経営再建なども担ってみたいとは思っています」(田中)

さらに転職前に秘めていた望みは叶ったかと聞くと、2人は「はい」と声を揃えた。

「現場に出て、お客様と向き合いながら知識を深め、緊張感のある現場に立ち合って経験値を上げていく毎日。120点の成長感を感じているところです。さらにここからは結果を出し、この仕事のやりがいを見つけていきたいと思っています」(庭田)

「佐上の考えに共感したメンバーがM&A総合研究所には集まっています。やる気のある者しかいない。企業経営の大きな決断をサポートする仕事を、同年代の優秀なメンバーと共にできることが、今はただただ楽しいですね」(田中)

企業対企業の売買を仲介するM&Aアドバイザー達。彼らがしのぎを削る世界は、さぞやヒリヒリしているのかと思えば、そうではなかった。前を向いて、自己成長、目標達成をひたむきに目指すものだけが集まる世界。2人の話を聞いていると、そこにあるのは「爽快な緊張感」なのだ。

その中で、これから期待のセールス2人はどのような成長を見せるのか。今後の躍進に期待したい。

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Promoted by M&A総合研究所 | text by Miharu Kasai | photographs by Shunichi Oda | edit by Ryosuke Goto

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