──ベクトルに入社されたのはなぜでしょうか?
大きな軸として「インターネットで事業をつくりたい」とは考えていたものの、どの産業にするかは決めていませんでした。ネットそのものがビジネスになる時代は終わっていたからです。そこで一つ決めていたのはネットがまだ影響を及ぼしていない分野でチャレンジするということです。
そして、アニメやハードウェア業界など、さまざまな会社を見る中で出会ったのがベクトルの「PR業界」でした。PRとは何かも知らなかったのですが、話を聞いていると業界はかなり属人的な労働集約産業。今でも、FAXを使って案内をして、記者会見を行なっているようなアナログな業界です。
どうやったらネットで業界が変わるか、イメージはなかったものの大きなチャンスが眠っていると感じました。
──まったくの未経験業種で勇気も必要だったのではないでしょうか。
アウトサイダーだからこそ、常識にとらわれず思考停止することなく挑戦できると考えました。
逆に、私と同様の経験を持つコンサルタント出身者がいるような企業では、入社してすぐにフィットする可能性は高いですが、本当にそれで大きなチャンスを掴めるとは思えませんでした。
一方で、西江肇司さんをはじめとするベクトルの創業メンバーを見ると、私のようなキャリアを持つ人はいなかった。まったくフィットしないかもしれないけれど、もしお互い違う者同士が信頼してスキルを補完し合えれば、大きいことが実現できるのではないか。その可能性に賭けました。
急成長を続けていたベクトルにIPO責任者として参画して、3カ月後には取締役CFOに就任しました。ただ私の入社直後、業績に急ブレーキがかかります。
取締役とはいえ、これまで頑張ってきた社員にとっては新参者の外様。私が主力事業に何かして良い結果になることは皆無です。
だから消去法的に新しい事業を生み出すしかなく、私にとってはIPOのサイドプロジェクトとして立ち上げたのがPR TIMESでした。
もし仮にベクトルが2006年当時の計画通りに上場できていたとしたら、あるいは私がCFOやIPO責任者という既成概念に縛られていたとしたら、今の自分もPR TIMESもなかったでしょう。
自分の選択軸や経験を大切にしつつも、思い切って未経験の空白地帯に飛び込んでみる。
自分がわからないことでもできないことでも取り組んで、新しい経験を得て、常に変化し続ける。それが、私がキャリアで大きなチャンスを掴むことができた要因だと思っています。
※記事の内容は2020年2月4日時点のものです。
山口拓己(やまぐちたくみ)◎1974年生まれ 1996年4月、新卒で山一證券入社後、アビームコンサルティングなどを経て、2006年3月、ベクトルに入社。取締役CFOに就任し、上場準備責任者としてIPOへ向けて指揮を執る。2009年5月、PR TIMES代表取締役就任。2016年3月、東証マザーズ上場、2018年東証一部へ市場変更。