男か女かは生まれたときに決まっている?
独立記念日のバーベキューパーティーでのことだ。私は少々熱くなって、sheとかherといった女性代名詞が差別的に使われていると言って議論をふっかけた。ところが相手の六十代の友人にはさっぱり意味が通じなかった。彼はこう言った。「だって、わかりきったことじゃないか。みんな、男か女のどちらかに生まれてくるんだから!」
私は絶句した。相手が心底めんくらっているのがわかったので、それ以上反論しなかったし説明もしなかった。彼との付き合いはその後も続いている。大切な相手であることに変わりはない。彼はよき父親で、経験豊富なビジネスマンで、誠実な友人だ。立派な教育も受けている。だが、その教育が必ずしも役に立っていないのかもしれない。
自分が当たり前だと思っていること、人生の大半にわたって信じてきた常識が今、覆されようとしている。どうにも不可解で受け入れられない。だから頑なに抵抗する。反論し、防衛的になる。こういうときこそ「学びほぐし」が大切になる。
絶対に正しいと信じている知識を手放せるか?
2020年5月に「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」運動が世界的に広がり始めてから、私はむかし教わった米国の歴史を少しずつ「学びほぐす」ことを始めた。当時教わることのなかった、まったく別バージョンの歴史を新たに学んでいる。それは人種問題の歴史で、読むだけで息が苦しくなるほど残虐な出来事が多く含まれたものだ。
そうして学びほぐしながら、この世の成り立ちを理解するための視野を広げている。どういう経緯で、どのような背景があって今の世の中ができたのか。もちろん、絶対的な真実というものはない。歴史のバージョンは人の数だけあり、すべての観点が有効だ。なるべく多くの観点を取り入れることで、より真実に近い見方ができるようになるはずだ。