1973年のピンボール
「僕は不思議な星の下に生まれたんだ。つまりね、欲しいと思ったものは何でも必ず手に入れてきた。でも、何かを手に入れるたびに別の何かを踏みつけてきた。わかるかい?」
「少しね」
「誰も信じないけどこれは本当なんだ。三年ばかり前にそれに気づいた。そしてこう思った。もう何も欲しがるまいってね」
彼女は首を振った。「それで、一生そんな風にやってくつもり?」
「おそらくね。誰にも迷惑をかけずに済む」
「本当にそう思うんなら」と彼女は言った。「靴箱の中で生きればいいわ」素敵な意見だった。
村上春樹の第二作『1973年のピンボール』(講談社)からの引用です。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』、そして、いくつかの作品を挟んで発表された『ダンス・ダンス・ダンス』まで含めて「鼠四部作」と言われます。
ありふれた言葉ではありますが、「虚無」「孤独」「寂寥」を感じさせる初期の作品群です。
閑話休題。自宅にいればストレスも危険も少ないことは明らかです。何かを「踏みつける」こともなくなります。でも本当にそれでよいのかどうか……?
人に会うことの意味
かるたやトランプの会社を世界的なテレビゲームメーカーに育てた任天堂の故 山内溥元社長のように、偉大な経営者のなかには人と会うのを好まない方がいらっしゃいます。筆者もできることならば、「靴箱の中」とは言いませんが、誰もいない公園の片隅で穏やかに吹く風を受けながら読書していたいと思います。ただ、それに慣れてしまうのは恐ろしくも感じます。
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(当時)史上最年少23歳で芥川賞を受賞した丸山健二氏も、頽廃した(?)文学界に嫌気がさし、安曇野の土地で閉じた生活を選択されましたが、清濁併せ飲み世界と交流し刺激を受けていた場合と比べて、どちらが優れた作品を残すことができたか? こればかりは何とも言えませんが、もしかしたらさらに偉大な作品を生み出していたかもしれません。
2008年にノーベル物理学賞を受賞し、個性的なキャラクターで一躍時の人になった益川敏英教授。益川教授は、量子理論について一人で考えに考えます。なんと51時間連続して考え続けたことが二回あるそうです(繰り返します。51時間!! ノーベル賞とは大変な賞だと改めて思います)。
同時に、益川教授は共同受賞者である小林誠教授と日々アイデアを投げ合っていました。ある日、お二人がいつものように議論をした後、この理論はもう無理だ、撤退の論文を書こうと思い始めていました。
しかし、その夜の湯舟で受賞対象となる「クォークが6種類あれば解決するじゃないか!」を閃いたのです。自身で考え尽くす時間と創造的な人同士が刺激しあう時間。凡人とは水準が違いますが、この二つが重要であることがわかります。