ビジネス

2022.01.28

顧客を「次のステージの橋渡し」へ。りそなホールディングスのSDGs経営の秘訣

りそなホールディングス 取締役兼代表執行役社長 南昌宏


「改革の種」実る


南は「これも起点は03年の公的資金注入です。細谷英二・元会長と『本当にお客さまにとって大切な価値は何か』を考え、早くに改革をスタートできたからです」と説明する。

03年当時、東日本旅客鉄道(以下、JR東日本)の副社長だった細谷は、りそなHD会長に抜てきされて改革のすべてを率いた。JR東日本では、自動改札機を導入し、「駅ナカ」と呼ばれる駅構内の商業施設開発などを実現してきた人物だ。それ以前には1987年4月の旧国鉄の民営化という大事業を、現場の実行リーダーとして支えた。12年に病に倒れて亡くなったが、公的資金による資本増強によって実質「国営化」された、畑違いの銀行で抜本改革に乗り出した。

「細谷さんは常々、『りそなの常識は世間の非常識だ』と言っていました。銀行トップの役職名を『頭取』から『社長』に変えるのも15分で決断して実行するなど、とことん大ナタを振るっていました」と南は当時を振り返る。辣腕のように思えるが、その無私で公平な人柄は多くの人に愛された。

南は当時、りそな大改革を実行する企画部に所属し、最前線で細谷の謦咳(けいがい)に接してきた。

南は「りそなグループにとって、細谷さんと改革に取り組んだ03〜05年がターニングポイントでした。『もう一度、お客さまの側に立って、新しい銀行像を考えよう』と、従来の常識をいったん解体し、再構築していく作業。どんなルートから改革にたどり着き、どの程度のスピードで実現するかを、皆が細谷さんの近くで体験しました」と回想する。

女性社員をどんどんと登用したのも当時の社内事情と、細谷の国鉄時代の「苦い経験」が背景にあったようだ。03年の公的資金注入による改革の際は、かなりの数の社員が退職した。細谷は「ただでさえバブル後の入行組は少なかったのに、多くの若手がいなくなったことで女性に頑張ってもらうほかなかった」と、日経電子版で生前に連載していた『経営者ブログ』で書いている。

それ以上の思いもあった。国鉄時代に、東大経済学部出身の国鉄で働きたいという女性がいた。細谷は内定を出したが、しかし、大卒女性の幹部候補を「国鉄として採用した前例がないから」と上司に反対され、採用を断念したのだという。細谷は「私は企業として二度と能力のある女性の夢を奪うようなことをしてはいけない」と大いに反省したそうだ。このトラウマもあり、JR東日本では駅ナカ開発プロジェクトに女性社員を大々的に登用した。

りそな改革でも、初年度には女性5人を支店長として任命。しかし、これは一部うまくいかなかったという。細谷は「リーダーとしてのスキル、ノウハウをしっかり教えないといけない」と痛感し、女性が活躍するための土台づくりを担う『りそなウーマンズ・カウンシル(Woman’s Council)』を05年に設立した。
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文=三河主門 写真=鷲崎浩太朗

この記事は 「Forbes JAPAN No.087 2021年11月号(2021/9/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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