長年のテーマ「オリンピック憲章50条」とは
Photo by Hector Vivas - FIFA/FIFA via Getty Images
──これまで廃止や見直しを求める声があがっていた五輪憲章第50条の条件付き一部緩和も、一つの大きな出来事でした。このルール50は「中立性」を守るという基本原則が貫かれてきたという歴史がありますが、ガイドラインで示された範囲で、アスリートの意思表現が容認されました。
先ほども述べましたが、延期になった1年の間に「Black Lives Matter」運動が世界的に広がり、スポーツ界でもこの社会的ムーブメントをきっかけに活発な議論が始まりました。
今回のルール50一部緩和の本質は、政治的中立性の問題ではなく「アスリートアクティビズム」の問題です。
アスリートたちは大変な想いをして人生をかけて競技に取り組んでいます。コロナ禍や厳しい社会環境の中で競技を続けていくためには、やはりコーズ(モチベーション、大義)が必要で、それを表現する機会を必要としている。その想いに中立性を守りながら応えた形だと思います。
アスリートのプレイする意義、自身の存在意義にかかわる問題で、プレッシャーやメンタルヘルスの問題が深刻化する中、一律に表現の自由を制限して、中立性を保つということだけでは、アスリートやオリンピックの価値を守れないところまで来たということではないでしょうか。
ただし、北京五輪ももちろん五輪憲章に基づいた大会ではありますが、中国の法律や規制に従って運営されるともされており、注意が呼びかけられています。
人権対応も「おもてなし」の姿勢で
──大会期間中に差別的言動やハラスメントが発生した際の対応のため、WGにタスクフォースを設置し、「会場における人権対応ガイドライン」を策定されました。
これまでのトラブル対応の基本は、わかりやすい言葉を使うと「とにかく即刻つまみ出す」といったものだったと思いますが、今回東京2020らしく“おもてなし”の姿勢、ホスピタリティの精神をもって、対話を通じて対応することを目指しました。
2013年にサッカー日本代表がW杯出場を決めた夜に渋谷のスクランブル交差点の警備にあたった「DJポリス」の例は、大変参考になるアプローチでした。
まずはスポーツを楽しむ場、思いを仲間として共有する、感覚的には家に遊びに来てくれた友達が揉めてしまった時にどうするか、さらには雰囲気づくりを含めて、そうならないための準備をしておくといった姿勢で取り組みたかったんです。仲間をつまみ出すなんてことはしたくないですし、どうすれば楽しく過ごせるかを考えたいですから。
理念の実現にはスタッフ一人一人がD&I、人権に配慮して行動し、問題が発生した際には決して容認することなく、その場の状況に応じて自らが判断をして適切に対処することが重要です。この想いからタイトルを「マニュアル」ではなく「ガイドライン」と名づけることにし、会場でどのような事案が起こりうるか、どう対処するのが望ましいかといった具体的なイメージを持てるような内容にして、実践的な教育訓練を行うことにしました。
作成にあたっては、過去実際に競技会場内で起きた人権事例において、現場で対応にあたった方へのヒアリングもしました。例えば、Jリーグ・浦和レッズでサポーターとの問題が発生した際に、やはりただ退場いただくのではなく対話を重ねることで互いの理解を深め、信頼関係を築くことができたという話を伺い、感銘を受けました。
他にも、Centre for Sport and Human Rights、FIFA(国際サッカー連盟)やFARE Network(Football Against Racism in Europe)、コカ・コーラ社やP&G社といったパートナー企業など様々な関連組織とも意見交換を行い、惜しみない支援と協力を得ました。
──ガイドラインで対応しなければならない事案は発生したのでしょうか?
ほぼ無観客開催だったため、発生件数は少なかったですが、実際にガイドラインに基づいた対応が行われました。
大会期間中は組織委員会持続可能性部職員とスポーツ弁護士で構成された人権デスクが設置され、会場等での事案を支援する体制がとられました。
人権関連事案に発展する可能性のあるバナーが競技会場に持ち込まれましたが、現場スタッフとの対話により、自主的な撤去をしていただけました。今後につながる貴重な経験となりました。
出典:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会『持続可能性大会後報告書』