今回取材したのは、細胞解析の新しいツールを社会実装しようとする株式会社CYBO。「再生医療、創薬の進化」「医療診断の精度向上」「さらなる早期発見の実現」などCYBOのイノベーションから我々が今後受け得る恩恵は計り知れない。
新しい学問分野を創出するとまで称される画期的なプロダクトは、人類のウェルビーイングの増進に大きく貢献する。
2018年8月、国際的な科学誌『Cell』に「Intelligent Image-Activated Cell Sorting(インテリジェント画像活性細胞選抜法)」と題する論文が発表された。この論文は、内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)で東京大学大学院理学系研究科の合田圭介教授がプログラム・マネージャーとなり、200名以上の研究者によって進められてきたプロジェクトの成果発表だ。細胞の高速イメージングと深層学習を用いた画像解析で細胞を判別し、判別結果に応じて細胞を分離する画像活性セルソーターの開発に世界で初めて成功している。
この技術により、人類は生命の基本単位である細胞から、より早く・より正確に多くの情報を集める手段を得る。がん免疫細胞療法や再生医療、創薬などで行われる細胞解析は、そこに新たな学問分野が生まれるといえるほどの進化を迎える。
論文発表を契機に、研究成果は社会実装のフェーズに突入した。医療・バイオ分野への展開が進んでいるのだ。それを担うのが、今回紹介する株式会社CYBO。同社の代表取締役に就く新田尚は、多くの研究者が集うImPACTのプロジェクトでプログラム・マネージャー補佐として開発を主導してきた。
研究成果を反映したCYBOのプロダクトである画像活性セルソーターは、「ENMA」と名付けられている。この「ENMA」による細胞解析について、そして「ENMA」が医療に与えるインパクトについて新田に聞いた。
壁が立ちはだかったとき、白羽の矢が立った
「大まかに言うと、細胞解析には顕微鏡とフローサイトメータというふたつの技術があります。顕微鏡による細胞解析は、古くから用いられてきた技術です。現在の医療現場でも細胞解析のベースとなっていますが、観察者の熟練度にも左右され、統計的精度や感度を上げるためには大量の細胞解析が必要となります。一方、フローサイトメータによる細胞解析では、液中に浮遊した細胞を試験管に流し、レーザーを照射して解析を行います。数秒で数万個の細胞解析が可能なので、測定情報から行う統計解析の精度も高まります」
新田は、このふたつの細胞解析技術に精通した稀有な技術者である。
「私は大学でもともと物理学など理工系を得意としていましたが、専門課程から大学院の修士課程では物理と生物の領域で研究をしていました。ちょうどその頃、大学発ベンチャーの枠組みが注目されはじめ、私も研究成果を事業化していくことに意義を感じて、とあるベンチャーに在学中から参画していました。そこで取り組んだのは感染防御にかかわる免疫細胞や、それが引き起こすアレルギー反応など。これらを新しい顕微鏡技術やコンピュータで解析する研究です。博士課程に進学後は、そのベンチャーに就職し、研究と事業化に携わる道を選びました」
物理の法則と世の中の事象。両者の関係性を解き明かしていくのが面白くて、新田は物理と生物にのめり込んだ。すべては物理法則の中にあるという。物理のスケールのなかに化学があって、生物があって、細胞がある。世の中にもっと物理を応用させていくために、新田が大学の研究室から社会とより密接に関わることができるベンチャーを選択したのは、至極自然な流れだ。
「学問には、例えば天文学や素粒子などのように、壮大で純粋に学術的なテーマもありますが、それよりも私は、社会生活にリンクしたテーマに取り組むことで、自分の研究を世の中の役に立てたいという想いが強かったのです」
最初に就職したベンチャーに新田が在籍した期間は、学生時代を含めて7年。顕微鏡で免疫反応を可視化してデジタル化する実験機器の開発および事業化に成功した新田は、研究と社会のさらなるリンクを求めて日本の大手電気メーカーに転職する。そこで研究対象にしたのが、フローサイトメータである。
「転職した企業にはブルーレイディスクの技術があり、ちょうどレーザーで信号を読み取る技術を細胞解析に応用する研究をスタートさせたところでした。前職で手がけた製品はニッチな研究用の実験機器止まりで、よりスケールの大きな事業の進め方を経験したかったのも大企業に転職を決めた理由のひとつ。世の中に役立つプロダクトをつくって事業化し、その後に広く社会実装するところにまで携わりたかったのです」
新田が大手企業に在籍した期間は8年。フローサイトメータによって細胞を計測する技術開発と事業化は順調に進んでいたが、社会を大きく変革するような、より革新的な技術の事業化に挑戦したいという思いを持つようになった。
「ベンチャーでも大手企業でも、実際に社会に貢献できるポテンシャルは見えていました。ただ、最先端の技術を上手に活用すればできることはもっと広がり、新しい価値を社会にもたらすことができると考え、『研究と社会をリンクさせたい』という想いは大きくなるばかりでした」
そうした折、本稿の冒頭で触れた東大の合田教授によるプロジェクトが立ち上がり、顕微鏡とフローサイトメトリーの両方で製品開発と事業化を経験した新田に白羽の矢が立った。
「私はベンチャーと大企業で15年、顕微鏡とフローサイトメトリー技術をベースとした細胞解析技術の開発および事業化に携わってきました。合田教授が考えていたのは、ふたつの技術を組み合わせた画期的技術の研究開発です。自分のほかに適任者はいないと思いました」
細胞解析を起点としてCYBOが世の中を変える
こうして新田は、研究成果の先にある事業化の部分も引き受けることを前提に合田教授のプロジェクトに参画することになった。まず、新田は高速イメージングや高速信号処理、AI開発、データ表示など一連の技術を組み合わせて超高速撮像した細胞画像をAIで解析し、その結果に応じて細胞を物理的に回収する画像活性セルソーターの開発をプロジェクトリーダーとして統率した。その結果、稀少な細胞の取得や病気のもとになる細胞の遺伝子解析など、さまざまな細胞解析を可能とする研究成果に辿り着いた。
そして、2018年の論文発表と時を同じくして、当初のスケジュールどおりに新田はCYBOを創業。研究開発の恩恵を世の中に実装するべく、Tokyo Startup BEAMの採択も受けて、画像活性セルソーター「ENMA」の量産試作に挑戦する。
画像活性セルソーター「ENMA」
画期的な新技術をまずは研究向け製品として提供して技術を普及させて、徐々に医療現場の細胞検査への導入をうかがうことを考えていたと新田は語る。実際に会社として事業に取り組みはじめると、医療現場から切実なニーズや当社技術への期待の声が寄せられたことから、医療機器開発というチャレンジを想定よりも早期に行うことを決心した。
「医療現場において、細胞検査の効率化は長い歳月をかけて取り組んできた課題です。検査の受診率が上がれば癌の予防促進にもつながりますが、検体を顕微鏡で見るのは人による作業となります。そもそも、医療現場は慢性的な人手不足に陥っています。当社が得意とする高速イメージング技術およびAIによる細胞解析は、そのソリューションとして注目されたことから、医療機関からの問い合わせは多く、大学病院などの研究機関とも共同研究を行なっています。ここで実際にドクターや検査技師と話をして分かったことは、医療の現場にはAI以前にデジタル化が進んでいないという現状でした」
なぜ、医療の現場でデジタル化が進んでいないのか。調べていくと、単にコストや製品スペックだけの問題ではないとわかった。
「端的にいえば、現場のドクターや検査技師にとって、『従来のデジタル化技術は不十分』という事情があります。『デジタル画像だけ見ていては自信をもって診断ができないので、顕微鏡で再確認する』というワークフローになっており、結果としてデジタル化が進まず、AIの開発や活用も遅れています。この課題に応えるため、当社ではENMAの開発で培った高速イメージングと高速信号処理技術を活用して、検体を高速に高解像度の3次元画像としてデジタル化するツール『SHIGI』の開発に着手して、がん診断や血小板検査などで検証を進めています。実際に医療現場での活用が進むためには多くのデータやノウハウの蓄積が必要なので、それを積み上げていきたいと考えています。将来的には『ENMA』の医療現場への実装の足掛かりにもなると考えます。」
そのために、CYBOではハードウェアからクラウドに置いているソフトウェアに至るまで、すべてを自社で開発している。デバイスによる測定、クラウド上でのデータ処理、ディスプレイへの表示。医療現場のニーズに合致した既存製品が存在しない以上、現場が必要とするものを一つずつ開発しなければならないと新田は言い切る。
「ENMA」は、細胞解析において2歩先の技術である。医療現場の足元のニーズがデジタル化、次がAI活用による分析補完で、ここに「SHIGI」を投入する。さらにその次にくるのがAIによる細胞分離を行う画像活性セルソーター「ENMA」なのである。IoTやAIによる第4次産業革命が起こっているといわれる今日、細胞解析の分野も、またその過渡期にあるのだ。しかし、多くの業界で既に実証されているように、過渡期を超えた先にDXの恩恵がある。
「細胞をセンシングする、センシング結果を解析する、解析結果に応じて細胞を分ける。AIによって細胞分離を行う画像活性セルソーター『ENMA』は、この3つの技術によって成り立っています。 細胞は生命の基本単位です。まずは、医療の現場に『SHIGI』や『ENMA』が広く導入される未来を実現し、癌細胞を発見する速度と確度が上がるなど、人類のウェルビーイング増進に大きく貢献したいと考えています。
また、最先端のテクノロジーで細胞を深く理解できれば、病気の診断や治療だけでなく、創薬や食品生産など、さまざまな領域でのデジタル革命にもつながります」
細胞解析を起点として世の中に多くのイノベーションが起こる。その準備は進んでいる。研究者であり、起業家でもある新田の使命が果たされるときは、着実に近づいている。
新田 尚(にった・なお)
1978年東京都生まれ。2006年東京大学大学院にて博士号取得。在学中より大学発ベンチャーにて細胞の計測技術の開発及び事業化に従事。08年にソニー(株)に転職して細胞計測の新規事業立ち上げに従事。16年より内閣府ImPACTプログラムに参画し、その研究成果を引き継いで18年に株式会社CYBOを設立。
── Tokyo Startup BEAMプロジェクト ──
「BEAM」は、Build up、Ecosystem、Accelerator、Monozukuriの頭文字。
BEAMは、都内製造業事業者やベンチャーキャピタル、公的支援機関などが連携し、ものづくりベンチャーの成長を、技術・資金・経営の面で強力にサポートする。東京は、世界で最もハードウェア開発とその事業化に適した都市だ。この好条件を生かし、東京から世界的なものづくりベンチャーを育て、ものづくりの好循環を生み出すこと(エコシステムの構築)が、本事業の目的である。
本記事は、東京都の特設サイトからの転載である。
本事業に関する詳細は特設サイトから