誰も報道しなかった海部俊樹元首相の戦後初の「子育てタブー」|編集長日記

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1月9日に91歳で亡くなった海部俊樹元首相の訃報のニュースを見ていて、「やはりどこも報じないのだな」と思ったことがある。「政治改革」「水玉模様のネクタイ」「湾岸戦争」といった当時のことを振り返るニュースが多かったが、1989年の首相就任時の「戦後初」についてここで触れておきたい。

89年10月の衆議院での所信表明を前に、首相官邸の参事官室に出向いて、「一行でもいいから首相の所信表明演説で触れてください」と頼み込む官僚がいた。当時、厚生省児童家庭局長だった古川貞二郎氏(のちの官房副長官)だ。東京大学出身の官僚が多いなかで、古川氏は九州大学出身で長崎県庁に勤務した後、厚生省に入った変わり種だ。彼が「一行でもいいから」と懇願したのは「子供を産みたい環境づくりや子育て支援をする」というもの。いま聞くと、「は?」と思えてしまう当たり前の子育て支援策だが、戦後の首相で子供の出生に触れた演説をした人は誰もいない。タブーだったからだ。

古川氏に「政府が少子化問題に取り組むべきです」という主張を繰り返していたのが、産経新聞にいた岩渕勝好記者である。当時、日本の合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の推計数)は急速に低下していたものの、まだ日本で少子化問題を取り上げる者は皆無に近かった。岩渕氏の主張は「日本は子育て支援策がなく、子育ては大変だという雰囲気があり、このまま少子化が進めば社会保障を維持することができなくなったり、競争力の低下や労働力不足を招く怖れがある」というもの。

古川氏も「子供を産みたい環境づくりをして悪いわけがない」と思っていたので、岩渕氏と古川氏は「死ぬ時に後悔しないように全力でやろう」と話したという。ところが、これが四方八方から大反対されるのだ。反対論を列挙しよう。

1. 戦時中の人口政策である「産めよ殖やせよ」への反動。女性団体などが反対していた。夫婦の問題に国家が介入するのはよくない、というもの。古川氏の前任の女性局長に岩渕記者が「子育て支援」を訴えたら、「マスコミから袋叩きになりますよ!」と大反対されたという。

2. アジアの近隣諸国への配慮。「産めよ殖やせよ」の戦前回帰であり、再軍備化への始まりだ、という批判がこの頃は常にあった。

3. 税金の無駄遣い論。先進国になると社会保障制度が整備され、老後は子供に面倒をみてもらう必要がなくなる。「子ども=労働力」と考える時代は終わり、あえて子育て支援策をするのは、税金の無駄遣いになるというもの。

4. マスコミや政府内や女性団体だけではなく、労働力不足に危機感を抱く日経連を除き、経団連など経済界は少子化対策に関心を示さなかった。
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文=藤吉雅春

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