では、これから我が国がめざす「新しい資本主義」とは、いかなるものであるべきか。そのことを考えるとき、我々が思い起こすべき、大切な言葉がある。
「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできない」
このアインシュタインの言葉のごとく、現代の資本主義を生み出した現代の経済学の考え方の延長では、新たな資本主義を構想することはできない。
筆者がそのことを痛感したのは、2009年1月のダボス会議において、著名な経済学者達が語るリーマンショック後の資本主義変革論を聴いたときである。
その失望から浅学を顧みず執筆したのが、拙著『目に見えない資本主義』であるが、我々が本当に資本主義の変革を考えるならば、まず、資本主義の基盤となっている「経済原理」に目を向けるべきであろう。なぜなら、現代の経済学は「貨幣経済」(マネタリー経済)にのみ目を向けているが、文化人類学の視点で見るならば、現実の経済は、物々交換の「交換経済」(バーター経済)や、善意や好意で相手に価値あるものを贈る「贈与経済」(ボランタリー経済)によっても動いているからである。
そして、近年、世界の隅々に浸透しているネット革命は、このボランタリー経済の影響力を劇的に拡大し、例えば、アマゾンの書評や商品評価、グーグルの検索サービス、リナックスのOS開発などに象徴されるように、「無償」での情報提供やサービス提供がマネタリー経済のビジネスモデルと見事に融合し、極めて「高収益」の企業が生まれている。
言葉を換えれば、ネット革命以前には、経済活動を「利益追求を目的とする営利活動」と「社会貢献を目的とする非営利活動」に分けて理解する傾向が強かったが、ネット革命の進展によって、この利益追求と社会貢献の二つの活動が融合し、マネタリー経済とボランタリー経済が融合した「ハイブリッド経済」と呼ぶべきものが生まれている。
資本主義の最先端の、こうした現実を直視するならば、21世紀の経済学は、このボランタリー経済やハイブリッド経済を評価する手法を開発すべきであり、政府の経済政策は、国の豊かさを考えるとき、マネタリー経済の活性化の視点だけでなく、このボランタリー経済やハイブリッド経済を、いかに活性化するかを考えるべきであろう。