荒っぽさの裏の人間味。最多191ゴールを積み上げた最強ストライカー大久保嘉人


ただ、それだけではJ1史上で最多、おそらくは今後も誰にも破られない通算191ゴールはマークできない。11月22日に大阪市内で行われた引退会見。大久保は「ゴールを奪うために、確率も追い求めていた」と話す。

「自分はもともとストライカーではなく中盤の選手だったので、パスの出し手の気持ちも理解できる。その意味で相手ゴール前では、常に逆算しながらプレーしていました」

例えば大久保は、1試合の中で最前線から中盤の位置へ何度も下がってくる。ボールに触りたいからではない。すべてはゴールのためにと思考回路をフル稼働させていた。

「相手にとってみれば、自分の前を空ければミドルシュートを入れられると思うから寄せてくるし、そうなればドリブルを仕掛けて相手を抜くことも、自分が動いたことでできるスペースへ味方を動かした上でパスを選択することもできる」

ゴール前の危険地帯には、相手の屈強なセンターバックが君臨する。まともに身体をぶつけ合っては小柄な大久保はかなわない。いかにして相手を動かし、自分に優位な状況を作り出すか。嗅覚とも表現できる駆け引きも必要になる。

「野性的とよく言われていましたけど、実は本当にいろいろと考えていました。選手のときには言わなかったですけど」

スペイン、ドイツと2度のヨーロッパ挑戦を含めて20年に及んだプロサッカー人生で、大久保はいつしか「やんちゃ坊主」なるニックネームも頂戴した。

「104」ものイエローカードはJリーグ歴代最多に、宣告された「12」の退場処分も同2位にランクされる。どちらかと言えばネガティブな意味合いが込められていた「やんちゃ坊主」を、大久保自身は誇らしげに受け止めている。

「本当の自分とはまったく違う性格を、汚いプレーヤーとして貫き通せた。いろいろと言われたし、子どもたちが真似をしない方がいい部分もたくさんあったけど、それもサッカーだと思っていた。悔いなくサッカー人生を終えられるいまは幸せです」

ピッチを離れれば子どものように純粋で、優しくて、それでいて涙もろい。最愛の家族との間で紡がれてきた数々のエピソードからも、大久保の人柄が垣間見えてくる。

例えば長年の闘病生活の末に13年5月に61歳で他界した父親の克博さんへ、大久保はいまも「父がいなかったら、サッカー選手になれていない」と感謝の思いを捧げる。引退会見で克博さんに言及したときには、何度も涙で言葉を途切れさせた。

最後に交わした会話はいまも忘れていない。等々力陸上競技場でのセレッソ戦で2ゴールをあげた直後に、危篤の一報を受けていた克博さんが入院していた福岡県内の病院へ、大久保は「最期だけは絶対に会いたい」と念じながら駆けつけた。病室に入るや「おとん、帰ってきたぞ」と叫ぶと、ほとんど意識がなかった克博さんが「おお、嘉人、来たか」と返した。直後に別れが訪れた。病室からは飲み薬が記された紙の裏にしたためられた克博さんの遺言とも言えるメッセージが見つかった。
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文=藤江直人

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