荒っぽさの裏の人間味。最多191ゴールを積み上げた最強ストライカー大久保嘉人

2013年、日本代表に復帰した時の大久保嘉人(右) /photo by Getty Images Stuart Franklin - FIFA


「そこには『日本代表にもう一回選ばれろ』と書かれていたんですよ。かなり前から代表復帰のことをよく言われていて、オレも電話越しに『うるせえ。選ばれないんだから仕方ないじゃないか』と言って喧嘩になったこともあって(笑)」

こう語っていた大久保は13シーズン得点王の肩書きをひっさげ、翌14年5月に代表へ電撃復帰。2度目のワールドカップとなるブラジル大会を戦っている。

前人未到の3シーズン連続得点王へ近づいていた15年秋には、国見高(長崎)以来となる丸刈り姿の写真を自身のSNSへ投稿して周囲を驚かせた。

長男の碧人くん、次男の緑二くん、三男の橙利くんもそろって丸刈りになって写真に収まった理由は、入院して病と闘っていた、夫人の莉瑛さんへエールを送るためだった。国見高の同級生で、04年12月に結婚した莉瑛さんを抜きにして大久保の“いま”は語れない。例えば12年の年末。所属していたヴィッセル神戸から戦力外を告げられた大久保は、3度目の海外移籍を視野に入れてオファーを待っていた。

「韓国で一回ぐらいやってみようと思っていたんですけど、絶対にダメだと言われたんですよ。いくら隣の国だといっても存在が忘れられちゃうよ、その先はもう引退するしかなくなるよとまで言われて、さすがにそうだよなと思い直したんですよ」

半ば自暴自棄になっていた大久保を引き留めたのが莉瑛さんだったのだ。直後に川崎からのオファーを受けた大久保は移籍を即決している。

最後となったセレッソ大阪での21シーズン。大阪へ単身赴任するはずだった大久保は、たっての希望でついてきた橙利くんとの二人暮らしをスタートさせた。

「それまでは子どものために何か家事をやらないといけないと思いながらも、面倒くさいからとやらずにゴロゴロしていることが多かった。三男と暮らす環境でそれができなくなった、という部分で自分は成長したなと思いますね」

朝6時に起床して“キャラ弁”を作るなど、掃除や洗濯を含めた家事でも奮闘した日々はしかし、1年もたたないうちに終わりを迎える。

11月16日に引退を決めると、すぐに家族が待つ横浜へ帰った。四男の紫由くんを含めた4人の息子たちを前に座らせ、もうサッカー選手ではなくなると告げた。

「長男や次男は寂しさと、また一緒に暮らせる嬉しさを同居させていた。三男は大阪でできた友だちと別れる寂しさと家族と一緒に暮らせる喜びを、どう表現していいかわからない感じでしたね」

父へ、夫人へ、そして4人の息子たちへ見せてきた無類の優しさは、舞台がサッカーのピッチに変わればそれは仇となる。対戦相手になめられた時点で負け。だからこそ無理にでも違う自分を演じて、野性や知性と融合させ続ける必要があった。

「もっと落ち着いてプレーすればもっといいプレーができるのに、と何度も言われてきましたけど、大人しくすれば自分のプレーそのものも大人しくなるとわかっていた。自分は逆境に立ち向かっていかないと、力を出せないタイプなので」

ピッチ上で「やんちゃ坊主」であり続けた理由を、大久保はこう語った。悪い意味で目立てば批判の対象となり、さまざまなプレッシャーにさらされる。必然的に生まれる逃げ場のない一本道は、天皇杯準決勝で浦和レッズに負けた12日で終焉を迎えた。

「すっきりしたというか、これでもうやらなくていいという思いの方が強かったですね」

サッカーで完全燃焼しただけではない。仮面を脱ぎ捨て、優しき夫と父親だけに専念できる安堵の思いが、セレッソ戦後に大久保が残した言葉の合間に見え隠れしていた。

連載:THE TRUTH
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文=藤江直人

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