また、ホンダの創業者の本田宗一郎氏は「よく働き、よく遊べ」「理論とアイデアと時間を尊重せよ」という人生哲学を基に会社経営をしていました。それは、今から半世紀ほど前に導入された翌日出社時間調整ルール(勤務間インターバル制度)やノー残業デーといった労働環境の改善施策の導入にもつながっています。これも水道哲学と同様に、従業員の共感を得たことで愛社精神を育む原動力として機能しました。
では、戦後から高度成長期に日本企業の従業員を団結させ、エンゲージメント向上に大きく寄与した当時の経営理念を復刻させれば、現代の日本企業が抱える課題が解決するのかというと、そんなに甘いものではありません。それは当時とは経営を行っている場が大きく異なっているからです。
複雑かつ広域化する経営の場
アーキテクト思考とモノづくり思考、川上と川下では見える景色が異なります。
アーキテクト思考とモノづくり思考の違い
20世紀の日本の強さを築いたモノづくり思考では現場・現物・現実といった具体が重視されたのに対して、いま求められるアーキテクト思考ではコンセプトを構想するための抽象が重視されます。決まったゴールに最短でたどりつく能力よりも、ゴール自体を設定する能力が問われます。
この変化は、経営を行う場を構成する時間軸と空間軸が当時とは大きく異なることに起因しています。時間軸の観点でいうと、現代は目の前の顧客の問題を解決することで日銭を稼ぐと同時に、50年先、100年先の地球環境のことにも配慮した経営を行わなくてはいけません。一方で、創業者が長年にわたり舵を取っていた時代は終わり、今では上場企業の経営者の平均在任期間は5〜6年といわれています。
空間軸は様々な方法で表現できますが、一つはグローバル化が進展し、地域的な広がりが増したことが挙げられます。既に物質的に満たされている先進国と、多くの社会課題を有する新興国の消費者を一様に捉えることはできませんし、従業員が人生で実現したいことや会社に期待することも国によって大きく異なることはいうまでもありません。
また、実体空間のみで完結していた事象がデジタル空間にも広がり、現在はデジタル空間が実体空間を内包するほどに拡大していることも、空間軸の変化を顕著に示しています。
経営陣の多様性が求められる時代
限られた時間の中でグローバルに目を配り、日進月歩で進化するデジタル空間を理解しつつ、目の前の経営課題のみならず、未来を構想するのは決して容易なことではありません。時空間が広がり、関与する人・物・事すべてが多様化している現代においては、視野を最大限広げなければ全体は俯瞰できず、また、より一層抽象度を高めなければ、全てを包含する場を定義することはできません。
そのためにも、より多くの視点を確保することは非常に有効であり、企業の生き残りの術として紹介した経営陣の多様性はここでも効果を発揮します。
現代の経営者の最大の課題は、この大きく変化しつつある場を抽象レベルで把握したうえで、経営資源の中でも最も重要である従業員のエンゲージメントをいかに高めるかということなのです。
昨今「パーパス(Purpose)経営」という言葉が注目されムーブメントとなっていますが、パーパスを定義すれば従業員エンゲージメントが高まるわけでないことを決して忘れないでください。
今回は、日本企業の従業員エンゲージメントが世界的にも最低レベルにあるものの、過去の経営理念を持ち出してもそれを高める結果には繋がらない理由について解説しました。次回はどのようにして日本企業がそれを高められるかについて考えてみましょう。