30U30

2021.12.30

世界での競争力が弱まった日本。今求められるリーダー像は?|VERBALx入山章栄


バーバル:亜嵐くんは一緒に音楽活動をしているので身内みたいな感じなんですが、それでもなぜ彼を推薦したかというと、彼は「いつか海外でDJをしたい」という夢に向かって一心不乱に努力をしているからです。

コロナ禍では多くのライブが中止になり、ほとんどのパフォーマーは中止が解けるまで待っていようというスタンスをとりました。でも、彼はその期間を活用して、いろんな機材やソフトの使い方などを猛勉強していました。

そんな中で、「海外でCDを出したいが、どうしたらいいか」という相談を受けたんです。それを聞いて、僕は「じゃあ手伝うよ」と。早速海外レーベルとつないだところ、先方の印象もとてもよく楽しみな結果になりそうです。

現地の人たちは彼の日本での人気を知らないので、これは、実力でリリースのチャンスを掴んだということなんです。すげーやつが出てきたなと、本当に感心しています。日本で人気者なんだから、わざわざ海外に行かなくてもやっていけるのに、新しいことをやろうとか、幅を広げていこうと思うのはすごくカッコイイ。

おそらくこのことは日本ではあんまりハイライトされていないと思うんですけど、彼の自信や今後のキャリアにつながっていく大きな出来事ではないでしょうか。

この30年間で何が起きたのか


──そうして海外に出る人もいる一方で、日本の音楽業界は、韓国ほど海外展開を視野に入れていないと言われています。

バーバル:そうですね。もともと日本の業界があまり海外に関心がないからでしょうね。

例えば僕がデビューした1999年は、宇多田ヒカルさんの1stアルバム『First Love』が大ヒットを記録しました。販売から1カ月後には500万枚を売上、国内累計で800万枚近く売れています。自国でそれだけ売れれば、海外に関心は持ちませんよね。日本のレーベルも国内にフォーカスしようとなります。

それに対して、今や世界中で流行っているK-POPは状況が違いました。国内で海賊版が出回ったり、東京ドームのような大きなライブ会場がなかったりとハードルが多かったため、海外に外貨を稼ぎに行く戦略にでたわけです。

そして今では、洋楽のヒットメーカーに楽曲を作ってもらって、韓国語で歌うのが当たり前になっています。最初からアメリカでウケるサウンドになっているので、世界で受け入れられやすくなるんですね。

K-POPはそうやって戦略的に飛躍していきました。握手会やハグの権利でCDを売ろうとする日本のビジネスモデルとは全然違いますよね。

入山:今のお話はすごく大事だと思います。平成元年(1989年)の世界の時価総額ランキングトップ50のうち、30社以上が日本企業でした。それが平成30年(2018年)にはトヨタ1社になった。こうなった原因のひとつはマーケットの差です。
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文=久野照美 取材・編集=田中友梨

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