サッカーチームが存続の危機に。「救世主」が語る、波乱の3年間


マネージャーとしてのビジネス面については、加藤は次のように語る。

「ビジネスに関する勉強はしたことがないので、いろいろな方にアドバイスをいただきながら進めています。海外にいると、現地法人も含め経営者の方とお会いすることも多いので、彼らとの会話のなかで学ぶことは多々あります。経営者の方々は、利己よりも『利他』を重視しているという印象があり、『人のためを思うことが回り回って自分に返ってくる』という考え方には、自分も影響を受けました」

チームマネージメントの話をする加藤からは「なんとかしたい」という思いと、トラブルを前向きに乗り越えようとする熱い気持ちが伝わってくる。異国の地で加藤を動かす原動力はどこにあるのだろうか。

加藤は海外でプロサッカー選手を続けるなかで、さまざまな理不尽にも遭遇してきた。香港やインドネシアでは、自身やチームの成績とは無関係の厄介事に翻弄され、移籍も余儀なくされてきた。そうした経験が、何事も前向きにとらえるというポジティブな姿勢を育んだのだろう。

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ムクティジョダでは、キャプテンとして選手たちのモチベーション向上に努めた

チームのマネージメントに奔走する自分をつくったのは、2013年、26歳のときから世話になっているメンタルトレーナーとの出会いも大きいと加藤は言う。

「当時は尖っていて、みんなを押しのけてでも一番になりたいというタイプでした。その性格が原因で周囲と衝突することもありました。トレーナーと出会って、人間関係を円滑にすることができるようになったことは大きいです。それがなければ味方も多いけど敵も多いような人間になっていたと思います」

叶えられなかった夢を次世代に


加藤は現在、大口のスポンサー候補との契約に向けて奔走中だ。この契約がまとまれば、「ムクティジョダ」を後輩たちに託し、選手引退後のセカンドキャリアについても固めていくという。まだ、どう転ぶかわからないなかなので、具体的なプランは未定だ。

「指導者のような直接的な形でかはわかりませんが、自分がサッカー選手として叶えられなかった夢を、次世代の選手に託したい。その場所は日本とは限らず、海外という選択肢もあるかもしれません」

加藤がプロサッカー選手を志したのは、14歳で短期留学したアルゼンチン。そこでボカ・ジュニオルスの試合を観戦したことがきっかけだった。ボカのホームスタジアム「ラ・ボンボネーラ」でファンの熱狂を感じ、「自分もこんな場所でプレーしたい」と思ったのだという。いつの日か、加藤の手によって、世界に誇るスタジアムで満員の観客に囲まれてプレーする選手が生まれるかもしれない。

バングラデシュの古豪サッカーチーム「ムクティジョダ」消滅の危機を救い、選手を引退してもその経営安定のために奔走する加藤。そのサッカーへの熱い思いが、成就する日が来ることを願いたい。

文=尾田健太郎 取材・編集=田中友梨

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