シュミッドマンは、自分も昔はトイザらス好きの子どもだったと語っている。彼は、トイザらス史上特に売り上げが多かった店舗の一つであるニュージャージー州パラマス国道4号沿いのトイザらスに足を踏み入れたとき、「世界にこれほど多くのおもちゃがあることを知らなかった」と思ったことを覚えている。
内覧会に参加したシュミッドマンは、キリンのジェフリーとハイタッチをしたり写真を撮ったり、祝福の言葉を受けたりして、おもちゃの超大型店にいる子どもと同じくらい興奮していた。
「トイザらスが戻ってきた。それもとても強力に」と述べたシュミッドマンは、 施設の開発業者であるトリプル・ファイブ・グループ(Triple Five Group)を経営するゲルメジアン家の粘り強さとビジョンを称賛した。トリプル・ファイブ・グループは、同モールの以前の開発業者が計画を断念した後で、アメリカン・ドリームのプロジェクトを引き継いでいた。
ポール・ゲルメジアンはシュミッドマンと15年以上の交友があり、シュミッドマンがこれまで常にアメリカン・ドリームのプロジェクトの支援者でいてくれたと語った。同プロジェクトは度重なる遅延や挫折に苦しみ、賃借を考えている企業の間では不信感が大きかった。
WHPグローバルは来年、米百貨店メイシーズの店内にトイザらスを400店ほど開店させるため、同社と独占提携を結んでいる。
トイザらスは、1948年にチルドレンズ・バーゲン・タウン(Children’s Bargain Town)と呼ばれる子ども用家具店を開店させたチャールズ・ラザラスが創業。ベビーブーム世代初期の子どもが誕生するのを見たラザラスはすぐにおもちゃ販売へと転向した。
ラザラスは、子どもの家具は一度しか買わない親が多いが、おもちゃであれば誕生日やクリスマス、休暇のたびに毎回購入されるだろうということに気がついた。
トイザらスの超大型店はおもちゃ界を席巻したものの、1990年代になるとウォルマートやターゲット、アマゾンがトイザらスの市場シェアを徐々に削り取るようになった。
トイザらスのおかげで、アメリカン・ドリームはトイザらス唯一の旗艦店を有することになり、米国の他のショッピングモールにはない花形の小売テナントを誇れるようになった。
また、子どもと同モールを訪れる親たちは、子どものおねだりに折れて20ドル(約2300円)のおもちゃを買い与えたとしても、アメリカン・ドリームの遊園地やウオーターパーク、その他のアトラクションよりも安い値段で子どもを楽しませることができる。