日本語、フランス語、英語の3カ国語を操る木村さんは、パリで料理人として和食店を営む父、添乗員をしていた母のもとに生まれ、幼い頃から「人の役に立つ、頼られる」ことに喜びを感じていたのだという。
コンシェルジュの道を選んだのは、ホテル学校に通っていた頃。父の店に来ていた常連さんに、「世界中のラグジュアリーホテルに泊まってきたが、日本人のコンシェルジュに出会わない。大介、やってみないか」と言われたことがきっかけだった。
ル・ムーリスのコンシェルジュデスク
ル・ムーリスで働き始めて12年。さまざまな依頼を受けてきた。
ある常連のゲストからは、「今夜8時からの妻の誕生日ディナーで、妻を驚かせたい。1000本の薔薇で、ハート形の花束を作ってくれないか」と依頼された。連絡がきたとき、既に夜6時半を回っていた。懇意にしている花屋と連携をとり、なんとか間に合わせた。
3世代で訪れた家族連れからは、「パリ旅行が夢だったという母のために、一番思い出に残る週末を」とリクエストされた。「ルーブル美術館貸し切り」など、いくつか提案した候補の中からこの家族が選んだのが、プライベートの観光ツアーと、パリ近郊の城を貸し切ってのディナーだった。
「さらに花火をアレンジし、お母様に花火の開始ボタンを押していただきました」と、木村さんは振り返る。ちなみに、その城は、ルイ14世がその美しさに驚き、同じ職人を使ってヴェルサイユ宮殿を建設したといわれる名城、ヴォー=ル=ヴィコント城だ。
指名で頼れられるまで
コンシェルジュとして、先輩から教わったのは、常に冷静に、落ち着いていること。一国の総理大臣や世界的なスターが来ることも頻繁にあり、繁忙期は様々な依頼が飛び込んでくるが、どんなシチュエーションでも忙しさやプレッシャーに負けず、一人ひとりのゲストに寄り添う、パーソナルなサービスを行うことが求められる。
「他にもたくさん驚くような依頼を受けてきたと思うのですが、慣れてしまったのかもしれません」と木村さんは笑顔で話す。どんな難しい依頼も、日常の一コマ。スマートにこなすのが、コンシェルジュの仕事だ。
ゲストの半数以上をリピーターが占めるル・ムーリスでは、「お気に入りのコンシェルジュ」がいるゲストも少なくない。コンシェルジュを始めた最初の頃は、「○○はいないか?」と、先輩の指名があり、その日が休みであることを伝えると、「ではまた今度」と依頼をしてもらえないこともあった。それでも、地道に続けていくことで、徐々に認めてもらえるようになり、日本人以外からの指名も入るようになったという。
ル・ムーリスでは、スタッフは名札を付けない。名刺を出して、目を見て挨拶をし、人間関係を築く。「前回お世話になったから、次も」というコミュニケーションが生まれ、事前のアレンジなども行いやすい。
永続的な「人と人との関係性」を築くサービス。木村さんの夢は、「偉大な先輩方のように、このル・ムーリスで長く活躍し続けること」だという。